戦後日本政治を見てきた者にとって、自民党が政策問題で分裂することはあり得ないというのが常識であった。自民党は権力の座にあるからこそ党の結束を保つことができるのであり、政権の座から転がり落ちれば、接着剤を失って瓦解する。小泉首相はこの常識を覆した。郵政民営化法案について、小泉首相は票読みをして負けることは承知の上で、あえて参議院での採決に突入したように思える。つまり、郵政民営化を踏み絵にして、小泉流改革に対する賛成派と反対派を識別し、衆議院を解散した上で総裁としての公認決定権を使い、自民党から反対派を追放するという賭けに出たと理解すべきであろう。
九〇年代に入ってから、自民党政治の行き詰まりは明らかであった。非自民勢力のもたつきによって、また連立政権を巧みに使い分けることによって、自民党は延命した。二〇〇一年に小泉を総裁・総理に選んだ時も、自民党の大半は、人気者小泉を延命のための道具くらいにしか思っていなかったに違いない。看板としての構造改革と実態としての利権温存を両立させることなど、自民党にとっては造作もない芸当だったはずである。小泉のもとで、自民党は無党派市民向けの構造改革路線、伝統的支持者向けの利権配分という二重人格を取ることによって、命脈を保ってきた。
しかし、郵政民営化法案をテコに、小泉は日本の政策形成システムを変え、自民党を純化するという革命を起こした。従来の自民党政治の意思決定過程は、よく言えば合意重視で協調的、悪く言えば責任の所在が不明確で不透明であった。小泉は、国民に自らの重点政策を約束し、その約束の実現に向けて与党を統制するという民主政治においてきわめてオーソドックスなリーダーシップを発揮したに過ぎない。この点を捉えて、従来の自民党政治家は独裁的とか、非民主主義的というが、それはいささか的はずれな批判ではないかと思える。これから地方分権、財政合理化など不可避の課題に取り組むに当たって、国民との約束を武器に反対を突破するという手法を取る必要が生じることは、しばしばあるに違いない。
混迷の原因は、小泉が自らの重要政策について、国民から明確で堅固な負託を取り付けられていなかったところにある。一昨年の総選挙、昨年の参議院選挙で、自民党の候補者から小泉構想に対してはっきりした忠誠を取り付けることもできたであろうに、小泉自身、自民党の二重人格戦術に荷担したことは否めない。
九〇年代から回り道を続けてきた日本の政党再編を一段階進めたことについて、小泉の力業を大いに評価しなければならない。しかし、郵政民営化がすべてで、他の改革については白紙委任というのでは、小泉政治は独裁に堕する危険も大きい。有効なリーダーシップとは、国民に対する具体的な政策提示と、国民自身による負託に基づいて初めて発揮できるものである。総選挙における与野党の実りある論戦を期待したい。
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