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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
戦後政治の終わりと小泉政治の始まり
山口 二郎
 
 
 
 今回の選挙は自民党を変質させ、五五年体制に本当の終止符を打った転換点として歴史に残ることになるだろう。

 政策や自民党の組織のあり方が変わったことももちろん重要である。しかし、より根底的な問題として、国民の政治家に対する接し方、選挙に対する関わり方が変わったことを指摘しておかなければならない。結果としての自民大勝にもかかわらず、選挙の現場に出かけてみると、自民党の候補者が街頭で市民の支持の盛り上がりを実感したわけではないという話をよく聞いた。後援会の空洞化や各種団体の動員力の低下は相変わらずであった。手ごたえのなさと世論調査の数字の大きな落差に、選挙のプロたちは戸惑っていた。

 人々は自分の選挙区の候補者を支持したのではなく、小泉を支持した。候補者のよしあしには関係なく、小泉政権の継続と郵政民営化を選ぶために自民党に投票した。それは確かに、選挙制度改革によって目指した政治の姿ではある。同時にそれは、多くの人々が生身の人間の営みとしての政治に背を向けたことの現われのように思える。

 かつては、政治家は地域の代表であり、代表する者とされる者との間には強い紐帯が存在した。政治家には選挙区から様々な情報が入力されたが、情報の情は感情や人情の情でもあった。選挙区の人々と濃密な人間関係を作り上げることが、政治家になるための必須の条件と考えられてきた。しかし、今回の選挙では刺客として送り込まれ、地域には何の関係もなかった候補者が、短期間の運動で大量に得票した。そこに、国民と政治家との間における直接性をめぐるねじれた関係を見出すことができる。

 まどろっこしい間接民主主義では、しがらみや既得権がものを言ってなかなか物事が決まらない。だから小泉が言うように、事実上の国民投票で決めたほうがすっきりする。国民は地元のさえない自民党候補に入れるのではなく、小泉に投票するつもりで自民党を選ぶ。しかし、小泉に直接触れることはできないので、メディアに映った象徴としての小泉につながった気分になる。国民投票といっても中身はよく分からないので、とりあえず改革の象徴としての郵政民営化に賛成する。人々が求めている直接性は象徴を通してしか実現されない、疑似的直接性なのだ。

 他方、人々は生身の政治家との直接的な接触は忌避する。地元の面倒を売り物にしてきた鈴木宗男や亀井静香のような政治家は自民党から追放された。これらの旧式の政治家は政治における情の大切さを訴えたが、あまり共感を呼ばなかった。むしろ、多くの人々は政治家に世話を焼いてもらうことをうざったいと思うようになったのであろう。政治家と人々がコミュニケーションを持ち、地域の切実な問題を解決してもらうという意味での直接的関係は、もはや過去のものになろうとしている。今回の選挙の革命性はそこにある。

 特定の勢力に左右されない政治という小泉首相のスローガンは魅力的である。しかし、様々な集団や地域が自分の抱えている問題を政治過程に入力し、解決を得るという要素をすべてそぎ落としたときに、民主政治は一体どうなるのであろうか。四年間の小泉政治の下で、平均所得の減少、非正規雇用の増加など各種の社会経済指標が示すように、普通の人々の生活は明らかに悪化している。にもかかわらず、政治との直接的関係を忌避する人々の側が、そうした問題を政治に持ち込むことを望まなかったということもできる。

 国民が冷酷非情な小泉政治を支持したことは、面倒見としての政治を否定するという転換に踏み出したことでもある。今後、少数者や集団への利益配分が、既得権として一切合財否定されるなら、公共の利益は何を意味するようになるのであろうか。人々の生活上の苦労を顧みない民主政治なるものはありえるのだろうか。私にはそれはもはや独裁政治だと思える。

(東京新聞9月12日夕刊)