今回の選挙結果は、日頃新自由主義を目の敵とし、社会民主主義の再構築を唱えている私にとってもこれ以上ない敗北である。四年間の小泉政治の中で、経済的動機による自殺者の増加、安定的雇用の崩壊、サラリーマンの所得減少、税・社会保険料負担の増加など失政を示す多種多様な指標が存在するにもかかわらず、小さな政府というスローガンが国民を熱狂させた。国民は生活の苦しさをそれほど痛切に認識しておらず、生活を選挙の争点にはしなかった。この結果には、小泉の戦術の巧みさと、野党、特に民主党の戦略の失敗の両面の原因がある。
大学が独立法人となり、公務員ではなくなった私は、今回の選挙では何人かの候補者の応援に駆けつけ、街頭演説のマイクを握った。大阪の辻元清美候補の所では、こんな話をした。
「今回の選挙の最大の争点は郵政民営化ではなく、アメリカ型の世の中を選ぶかどうかです。小泉、竹中ラインの政策でアメリカ流の小さな政府を目指すならば、行き着く果てはどうなるか。ニューオーリンズのハリケーンの惨状を見れば明らかです。イラク戦争に州内の軍隊を送り、金持ちのための大減税を行って堤防の予算は大幅カット。そこにハリケーンがやってきて、弱者が大量に犠牲になった。それこそが小さな政府の本質です。」
「小泉の言う構造改革はお化け屋敷みたいなものです。郵政民営化という入り口だけは見えるけど、中はどうなっているか、出口に何があるか、さっぱり分かりません。このお化け屋敷にいるのは、大増税というお化けであり、年金崩壊というお化けです。」
もともと辻元の話を聞こうという人たちだけに、この話は大いに受けた。辻元ファンのみならず、大阪の庶民には生活実感という座標軸があり、小泉・竹中の改革路線のいかがわしさが分かっているように思えた。
この間、民主党は何をしていたのか。政策を愚直に訴えるという姿勢が間違いだったとは思わない。民主党の最大の誤りは、政策に関する各論だけで、それをつないだ時に現れる全体的な社会像が欠けていた点にあった。大阪の下町や札幌で民主党候補の応援に行ったとき、それらの候補者は私と一緒になって日本社会の二極分化を批判し、誰もが安心して生活できる公平な社会を作ろうと叫んでいた。しかし、こうした声は民主党全体の主張ではなかった。小泉人気にあおられて、民主党も小さな政府に向けた競争に参加した。公務員削減や歳出削減を自民党と競っても、インパクトはない。民主党は小泉政治を否定する言葉を持たず、小さな政府に対抗する社会ビジョンを持たなかった。だから、負けるべくして負けたのである。
小泉の勝因は、政策の中身ではなく、姿勢の一貫性にあった。郵政民営化の帰結がどうなるか、分かって投票した人などほとんどいないであろう。国民は政策の体系性や内容よりも、決然としたリーダーそのものを欲しているのであろう。
その背景には、戦後の民主政治に対して多くの国民が抱いている飽きが存在していると思える。よかれ悪しかれ戦後の民主政治を担ってきた自民党は多神教的世界であった。天皇制と対米従属という前提以外には、絶対の価値というものは存在しなかった。様々な地域や集団を代表する政治家が資源配分を求めて激しく争い、その結果として多元的な勢力均衡が形成された。経済発展の時代、あるいは政府の借金が可能な時代には、多くの国民がこの多元的均衡の恩恵に浴してきた。自分の権益を守るためには他人の既得権も攻撃しないというのが、この多元的均衡の掟であった。
しかし、九〇年代以降、財政赤字の悪化、グローバル化にともなう規制緩和や輸入自由化などで、多元的均衡を支えた条件は急速に崩壊してきた。政策の体系を根本的に変えなければならないのだが、この十五年ほど改革が叫ばれるばかりで、なかなか中身は変わらなかった。かつて調和や安定をもたらした多元的均衡が、いまや停滞と閉塞の元凶になっているのである。
小泉はこの停滞を打破すると訴えて登場し、人気を保ってきた。そして今回、小泉政権の衰弱を挽回するために、特定郵便局長という支持基盤を自ら切り離し、郵政民営化に反対する政治家(これはそのまま多元的均衡を守る政治家に重なる)を追放して、自民党を一元化した。国民の多くが変化を待望していることは続いているであろう。今回の解散劇において、国民は小泉が従来の多神教的秩序を破壊したところに革命を感じ、一元化された自民党に変化の担い手を期待したのである。
自民党に新自由主義という背骨が立ったことが、今回の選挙の最大の変化である。冒頭に述べた社会経済環境の悪化にもかかわらず、国民はまだ政府の救済を必要と感じていない。しかし、これから日本社会のアメリカ化がいっそう進んだとき、小さな政府と官僚攻撃だけで国民を統合できるのだろうか。そのときには、アメリカと同じく戦争に打って出て、ナショナリズムを刺激するという手段を取るのかもしれない。
非自民を唱えるだけでなんとなく水ぶくれしてきた民主党が一度負けることは、日本の政党政治にとって必要な一段階であろう。新自由主義対社会民主主義(アメリカではリベラル派)という当たり前の二極的政党システムを日本でも立ち上げることは急務である。そのためには、民主党が敗北をきちんと総括し、一極を担うための理念と戦略を持つことが不可欠である。小泉が打倒したのは、族議員と官僚による疑似社会民主主義である。小泉流構造改革によって生活を奪われる人々を代表する社会民主主義的政党を立ち上げることができなければ、国民は選択肢を持てないままである。その先に待っているのはファシズムである。
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