私は一九五八年の生まれで、もちろん戦争やファシズムを直接経験したことはない。しかし、今の日本を見ていると、ファシズムの入り口はこんなものだったのかもしれないと思う。小泉首相をファシストと断定するのは行き過ぎであろう。しかし、彼はデマゴーグであり、大衆を扇動することが上手である。今回の選挙で、中身のないスローガンによって根拠のない神話を人々に信じこませ、異論、反論を封じ込めるという態勢を作った。これはやはりファシズムの入り口である。来年には政権を投げ出すと言っている小泉がファシズムを作り出すことはないのかもしれないが、二一世紀のファシズムは特異な指導者が存在しなくても成立しうる。
ファシズムは民主主義や平等と密接な関係を持っている。今回の選挙でも、投票率の大幅な上昇が自民党の圧勝をもたらしたことに示されるように、大衆の興奮や熱狂はファシズムにとってのエネルギーとなる。そして、大衆を興奮あるいは憤激させるテーマとなるのは、ゆがんだ平等主義である。小泉政権のもとで日本社会の二極化が進み、貧富の格差が拡大している現状を私や本誌に登場する論者は批判してきたのに、なぜ平等を求める大衆の感情が小泉の勝利につながったのか。よく考えるとこれは矛盾した話ではない。
普通の人々は、自分が勝ち組になれないことくらい分かっている。ただし、勝ち組の生活はあまりにも遠いものであり、感情的反応を誘発するものではない。イチローのプレーを見て、おのが技量の貧しさを嘆く草野球選手はいないのと同じである。六本木ヒルズは所詮別世界なのである。しかし、負け組の中でのちょっとした差が目に付くと腹が立つ。あいつらは許せないという怒りが湧いてくる。それは、怒る人にとっては、不公正や特権は許せないという彼らなりの正義感や平等主義の反映である。
今回の選挙では、公務員や自民党の支持基盤にあった利益団体がそうした憤激の対象になった。バブル崩壊から一五年、民間企業では人減らしや賃金引き下げが進み、ようやく企業の収益は回復した。しかし、成長の果実が従業員に配分されない構造ができたからこそ、企業の業績は向上した。それとは異なり、公共部門においては身分保障原理のもと、公務員の雇用は維持され、給与も増えてきた。また、自民党が得意とする再分配政治の中で、競争力を持たない業界の連中が政治的なコネを使ってのうのうと生き延びている。また、役所と建設会社しかないような田舎が、地方交付税や補助金をもらってぬくぬくと生活しているように見える。年収三〇〇万円しかない労働者から見れば、これこそが打破すべき特権であり、不平等と映る。私は、公共部門がある程度の仕事をしなければ平等を確保できないと主張するが、彼らは公共部門こそが不平等の原因であると考えている。小泉首相の「官から民へ」というスローガンはそこを衝いた。
小さな不平等に対する粗野な正義感が、巨大で構造的な不平等を維持、増進しているというのが現状である。負け組同士の間の微妙な差異を強調し、勝ち組の持つ巨大な特権に対する異議申し立てなどという発想そのものの芽を摘み取る。都市や若年層の支持に依拠した小泉自民党は、意図的かどうかは知らないが、こうした戦略を追求している。
では、本物のファシズムに陥ることを防ぐために、何をすればよいか。人々に、より大きな不平等に気づいてもらい、それに対するまともな正義感を政治にぶつけるように導くことしか答えはない。
まず労働組合、特に公共部門の労組には、小さな不平等にあぐらをかくのではなく、それを自ら見直す取り組みが必要である。まともに働く公務員の権利を守ることは当然であるが、公務労働における規律の確保について組合自身が新しくスタンダードを確立するくらいの決意がなければ、この公務員攻撃をはね返すことはできないであろう。
その上で、野党も労組も大きな不平等を攻撃する言説を繰り返していかなければならない。特に重要なのは、野党の戦いである。前原新代表の下で、民主党は建設的な対案を出し、自民党と改革を競うと称しているが、これは野党として自殺行為である。そもそも野党の立場では、官僚の持っている膨大な情報を使えないので、詳細な政策案を作ることは不可能である。中途半端な建設的提案をすれば、政府与党にいいとこどりをされて、政府の手柄にされるのが落ちである。
今回の選挙における「郵政民営化以外何の約束もなし」という構図を、今後の状況打開につなぐ戦略が求められている。与党がこれだけの多数を持っているのだから、与党の進める政策を阻止することは不可能である。野党にとっての希望は、郵政民営化以外の争点について批判の正統性を獲得することができるという点にある。この特別国会で郵政民営化法案が成立すれば、政府与党は税制改正、社会保障制度改革など国民の損得に直結する政策を取り上げざるをえない。先の総選挙でこれらの重要政策に関しては何も語らず、何も約束していない。小泉政権が新自由主義の本性をむき出しにして、大きな不平等を拡大するような税制、社会保障の改革を打ち出せば、国民は話が違うと反発するであろうし、野党もそこにこそ付け入るすきがある。野党から中途半端な提案をして与野党合意で政策形成が進めば、国民の不満のはけ口はなくなる。
民主党はひたすら小泉政権を攻撃していればよい。特に、郵政民営化という単一争点で選挙を戦い、他の重要争点について国民を欺くであろうことを徹底して批判し、実際に政府与党が国民に約束していないことに手をつけるのを待てばよい。同時に、大きな不平等を是正する新しい政治理念を練り上げ、小泉自民党との明確な対立軸を立てることこそが急務である。
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