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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
55年体制から2005年体制へ
山口 二郎
 
 
 
 九月一一日総選挙の結果は、新しい政治体制の誕生を告げているように思える。ここでは、政治における左右の対立軸という観点から、政治システムの転換過程を読み解いてみたい。

 五五年体制の成立以来、自民党が半世紀にわたって担ってきた戦後政治システムには、それが形成された半世紀前の国際環境や国内事情が色濃く反映されていた。

第一は、戦争経験の重しである。六〇年安保以後、自民党は憲法九条改正を事実上断念した。自衛隊や安保の存在をめぐって対立はあったが、身体感覚としての九条、つまり政治の目的は覇権追求ではなく国民の生活を豊かにすることだという感覚は、保守革新を超えて共有されていた。

 第二は、冷戦構造の縛りである。国内の保革対立は、冷戦時代の東西対立の反映であった。保革の勢力には大きな差があり、政権交代の可能性はほとんどなかった。しかし、保守のリーダーには資本主義の方が国民を幸福にすることを証明しなければならないという緊張感があった。

 こうした状況で、自民党は一人二役を演じることで政権を維持してきた。即ち、成長と分配、自由と平等という矛盾しかねない価値を同時に追求したのである。イタリアの政治哲学者ノルベルト・ボッビオは、平等を重視する左と自由を重視する右の対立が常に政治に存在すると述べている。その図式に当てはめれば、自民党は右派路線に沿って経済成長を推進し、左派路線に沿ってその果実を全国津津浦浦に再分配した。貧困という生活実感や都市と農村の格差が、自民党政治家に左派的感覚をもたらした。他方、旧社会党を中心とした左派勢力は政権を担うことを放棄し、もっぱら権力者に緊張感をもたらすという点に自らの役割を求めた。七〇年代の公害対策や福祉政策の拡張などは、こうした左派の影響力なしにはあり得なかった。

 九〇年代から十年余り続いた政治の混迷は、自民党が一人二役を演じられなくなったことの表れでもある。この時期、戦争と貧困について実感を持っている世代が政治から退場した。また、社会主義体制の崩壊によって、資本主義がよりすぐれていることを証明する必要もなくなった。かくして、自民党は経済界の強い希望やアメリカからの圧力もあって、自由重視の路線を取るようになる。今回の選挙結果からも明らかなように、ボッビオの言う二極的対立構図の中の右側の極は明確に形成された。

 これからできる政党システムが形を変えた一党優位体制にならないためには、自民党の左側に存在感のある政党を作らなければならない。現在の与野党の勢力差を見れば、それは絶望的に困難な課題のように思える。しかし、世界的に見れば左右の競争は拮抗している。アメリカではブッシュ政権が右派的政策を追求している。しかし、ハリケーンの惨事は経済的繁栄の陰にたまっていた小さな政府路線の矛盾を露顕させた。イラク戦争の失敗も相まって、ブッシュ路線からの揺り戻しが起こる気配である。

 日本でも貧困問題が次第に深刻化しており、普通の人々は将来の生活に大きな不安を感じている。問題は、強者の自由重視の路線の被害者も含めて、多くの人が戦後政治における平等追求の仕方に満足していない点にある。高級官僚も現場の公務員も含めて、平等や公平の担い手としての政府に対して、人々は不信感を持っている。また、平等化の名の下で作られた政策が一部の集団のための特権に化けていることにも人々は不満を募らせている。平等を追求する左派的政党を立ち上げるに当たって、この二つの課題を解決しなければならない。透明な過程を通して、効率的に平等を実現するという政策を提起することが野党の課題である。

(毎日新聞10月12日)