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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
ポスト郵政民営化の政治課題
山口 二郎
 
 
 
 選挙における地すべり的大勝による巨大な議席は、時の政府にとってこの上ない政治的資源となる。選挙結果に現れた国民の強い支持と指示を背景にすれば、政府は普段だと賛否が分かれるような困難な政策を容易に実現することができる。ただし、それには条件がある。選挙戦で国民にある程度具体的な政策を示し、それに対して国民が賛成したという形を準備することである。私がそうした実例を直接見ることができたのは、一九九七年イギリスで十八年ぶりに起こった政権交代の時である。ブレア政権は地すべり的大勝に現れた民意を生かして、金融、地方分権、教育改革などについていくつかの重要な政策転換を達成した。

 それに引き換え、小泉政権は地すべり的勝利によって郵政民営化を達成しただけで、政策についてはポスト郵政、政局についてはポスト小泉に関心が移り始めた。しかも、小泉首相の思慮を欠いた靖国神社参拝によって日本と東アジア諸国との関係は一気に険悪化し、首相は厄介な政治課題を自ら増やした結果になった。三位一体の地方分権における補助金廃止については、各省がゼロ回答を出し、議論は紛糾している。郵政民営化を達成した今の小泉首相の心中は、「わが亡き後に洪水は来たれ」であろう。巨大与党は、その勢力を生かすことなく、政策をめぐる調整と後継人事をめぐる内紛に政治的エネルギーを費やすことになる。何とももったいないことである。

 自民党が悩める巨象の様相を呈するのは、ひとえに小泉首相が郵政民営化という単一争点で選挙を戦ったことに起因する。他の重要な政策についてなんら具体的な指針を示していなかったために、既得権を守りたい官僚や族議員にも抵抗の余地が残された。小泉首相は政治的闘争に関しては天才であろうが、首相を務めるにはあまりに視野が狭く、独りよがりである。

 郵政以外に関心のない首相に代わって、財務省を中心とする一部の官僚組織やこれと気脈を通じた経済財政諮問会議が改革のテーマの選定と基本的な方向付けに大きな力を振るおうとしている。高齢者医療費の自己負担分の引き上げ、公務員数の純減、北海道開発局の大幅な組織縮小など、関係者にとってはショッキングな問題提起が最近の新聞紙面を賑わしている。経済財政諮問会議は、郵政民営化が片付いた今、与党の勢力を利用してこれらの案件を一気に政策論議の俎上に載せ、決着を図りたいのであろう。しかし、こうした政策手法は悪質な詐欺といわなければならない。

 まず、医療費の負担増など国民にとって影響の大きい「改革」については直前の選挙で何も語られることはなかった。もし、一連の負担増型改革の中身が議論されていたら、選挙結果はまったく別のものになっていたであろう。まさに、国民にとってはだまし討ちである。

 また、官僚組織や諮問会議は民主的な正統性を持たない機関である。政治指導者が国民との約束において決定した政策を技術的に肉付けするのがそれらの機関の本来の役割である。しかし、現状ではそれらの期間が、本来国民が選択すべき価値の領域にまで踏み込んで政策を方向付け、結論を先取りしている。たとえば、経済財政諮問会議の作業部会委員である跡田直澄氏は、医療改革の厚生労働省案に関するインタビューの中で、その案でさえ医療費削減は不十分だとして、医療費の伸びをGDP成長率以下に抑えるという経済財政諮問会議の主張を繰り返している。その根拠について、「経済、国家経営の面から見て「経済の指標によって給付を抑えなさい」というのは当然の結論だ」と述べている(『北海道新聞』一〇月二〇日朝刊)。

 諮問機関の一委員がなぜここまで傲慢なことを言えるのか、私には不思議である。国民は経済財政諮問会議に国家経営の権限を委ねた覚えはないはずである。国全体の資源配分において医療にどの程度を投入するかという問題は、国民自身の人生観、価値観と密接に結びついたものであり、国民自身が決定すべきである。生命を尊重するという価値観に基づいて、他の優先順位の低い政策から資金を回すという選択も当然あるはずである。そうした選択を論議することこそ政治ではないか。しかし、経済財政諮問会議は、郵政事業から始まって、公務員、医療など日本経済の「敵」を次々と名指しして、経営者としての全能感にひたっている様子である。

 官僚や諮問機関が国民に無断で政策の根本をなす価値観の選択を行い、選挙ではそれを隠蔽した上で与党が巨大な多数を取り、その後に政策の全体像を示すというのは、民主主義の否定である。選挙では劇的な形で民意が表現され、与党は国民からの強い負託を得たはずであるが、現実には新しい形の官僚支配が始まっているのである。

 亀井静香氏など官僚の狡猾さを知っていた有力政治家は自民党から追放され、今の自民党は、行儀はいいが独自の見識がないという点で、官僚にとって今まで以上に御しやすい存在になったことであろう。こうした状況では、野党の奮起がいっそう重要となる。まず、民主党は小さな政府という同じレールの上で、どちらがより過激な数値目標を示すかなどという無意味な競争をやめるべきである。対案と政権構想は違う。当面の課題について中途半端な議員立法などするよりも、経済財政諮問会議が示すのとは別の国の形を示すことに全力を傾注すべきではないか。今の民主党に必要なのは、メディアへの露出ではなく、選挙の敗因と今後の政権構想を考え抜く時間である。

 選挙の最中、私は小泉構造改革について、郵政民営化という入り口だけはっきりして、中には増税や年金崩壊というお化けが待っているお化け屋敷だと言った。郵政以後の政策が具体化すれば、国民も自分たちが小さな政府というスローガンに踊らされてお化け屋敷に入ったことに気づく時が来る。ポスト小泉の洪水に国民生活が押し流されるという事態を防ぐためには、「そんな話は聞いていない」という国民の怒りを背景に、野党が政府与党と厳しく対峙することが必要である。

(週刊東洋経済11月5日号)