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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
小泉首相と財務省のやらせ「対決」に惑わされるな
山口 二郎
 
 
 
 目下、年末の予算編成や税制改正に向けて重要な政策決定が進行している。ポスト小泉をねらう政治家が改革を競うという構図の中で、官邸と財務省の「対立」が注目を集めている。財務省の意向を代弁して谷垣禎一財務大臣が消費税率の引き上げを主張しているのに対して、官邸およびその意向を受けた経済財政諮問会議が歳出削減優先を主張している。また、政府系金融機関の統合について、財務省は機能別に金融機関をまとめることを主張しているのに対して、官邸は一本化を主張している。小泉純一郎首相が谷垣財務省を叱責しているのを見ると、首相が強力なリーダーシップを発揮して財務官僚の策謀を押さえ込もうとしているように思えるかもしれない。しかし、私には、これこそ見え透いたやらせだと思える。

 確かに、財務官僚は少しでも天下りのポストを確保したいと考えているのだろう。その点で、官僚バッシングで見得を切りたい官邸首脳と対立する。しかし、政府系金融機関をいくつにするかなど、些末な問題である。仮に官邸の主張通り政府系金融機関を一本化しても、新たにできる巨大銀行には役員ポストが多数用意され、天下りの実質は確保されるのではないか。これは、国立大学の独立法人化から得る経験的推測である。

 目下の財政に関する最大問題は、社会保障や地方財政を中心とする歳出構造の改革と、近未来の税制改革である。この点に関しては、国民負担をともなう歳出削減と、大衆増税とを軸として財政構造を変えていくという構想で、官邸、自民党首脳および経済財政諮問会議と、財務省とは一致している。谷垣財務省は財務官僚の意向を受けて、早ければ来年度からの消費税率引き上げを主張しているが、それは時期の違いでしかない。11月25日の『朝日新聞』社説では、谷垣財務相が財務官僚の言いなりになっていることが批判されていたが、これなど表面上の対立劇を真に受けた浅薄な議論でしかないように思える。

 財務省も歳出削減は大歓迎である。うがった見方をすれば、官邸や自民党首脳は、早期の増税に固執する財務省を押さえることによって善玉のイメージを確立できる。官邸が言う歳出削減は、増税に向けた露払いでしかない。そして、実際の歳出削減策は、財務省によって用意されている。財務大臣の諮問機関である財政制度審議会は、「平成18年度予算の編成等に関する建議」をまとめ、これは11月22日の経済財政諮問会議でも説明された。その中では、政府の公共サービスの縮小が様々な分野に渡って打ち出されている。これを見ると、小さな政府が冷淡な政府であることがよく分かる。

 公務員人件費の削減や公共事業、農業対策などで従来の政策の見直しが必要なことまでは私も否定しない。しかし、財務省の路線は、必要性の低下した政策を削減して他の重要課題に当てるというスクラップ・アンド・ビルドの発想ではなく、闇雲にあらゆる政策を縮小するというものである。社会保障に関しては、「身の丈」にあったものに抑制するというスローガンのもと、医療費の抑制、介護報酬の引き下げと保険料の見直し(つまり引き上げ)などの課題が列挙されている。地方財政については、交付税の財源保障機能の見直しと総額の抑制、教育については、私学助成の削減、育英事業の規模抑制が打ち出された。

 財政の帳尻さえ合えば、国民生活はどうなってもよいというのが財務官僚の本音であろう。そして、小さな政府という呪文に踊らされて、政治家も審議会の学者も、そのような公共政策の破壊に狂奔しているのが現状である。私は何も、社会保障と教育は聖域だと言いたいのではない。しかし、貧富の格差が拡大し、親の経済力によって子どもの教育を受ける機会が大きく影響されているこの時代に、なぜわざわざ育英事業の規模抑制を予算編成の重要事項に掲げなければならないのか、理解できない。今年度予算における育英事業費はたったの一三七八億円である。これを抑制したところで、歳出削減にとっては大海の一滴である。財務官僚や財政制度審議会委員を務める有識者は、貧乏人の子どもは高等教育を受ける必要はないとでも言いたいのだろうか。

 政府の大きさと国民負担について、興味深いデータがある。OECDの調査によれば、GDPに対する医療や介護に対する社会的支出の総額のおよその割合は、アメリカ26%、イギリス27%、スウェーデンとドイツ30%となっている。小さな政府のお手本であるアメリカも、大きな政府の代表格のスウェーデンも、医療や介護に対して支払う費用には大差ないことが分かる。これに対して、社会的支出のうちの公的支出は、アメリカ16%、イギリス24%、スウェーデン28%、ドイツ29%となっている(この数字については、駒村康平東洋大学教授の教示による)。つまり、小さな政府のアメリカでは、医療や介護に対して私的に支払う金額が他国よりもはるかに多いことになる。要するに、大きな政府と小さな政府の違いは、市場を通して私的にサービスを購入するか、政府を通して公的にサービスを購入するかという違いであり、負担水準そのものが違ってくるわけではない。そして、市場を通してサービスを購入すれば、必然的にその人の購買力によってサービスの質が異なってくる。極論すれば、命を金で買うことになる。

 また、「身の丈」にあった社会保障というならば、むしろ日本では社会保障予算を増やさなければならない。二〇〇二年のGDPに対する社会給付の比率を比較すれば、日本11%、アメリカ12%、イギリス14%、スウェーデン18%、ドイツ19%と、日本は先進国中最低水準である。

 このままでは、郵政民営化という単一争点にのみ注目し、小さな政府を掲げる小泉自民党に圧倒的な多数を与えたツケを、これから国民は払わされることになる。重要な政策が決定される前に、小さな政府というスローガンが日本社会をどう変えて、国民生活にどのような影響をもたらすか、具体的に議論すべきである。官邸と財務省のやらせの喧嘩を面白がっている場合ではないのだ。

 民主党は西村真悟代議士の醜聞で、一層苦境に立たされた。メディアへの露出を図るよりも、内政上の政策課題についてまじめに考え、政府与党の政策の欠陥を訴える以外に、この苦境を抜け出す手だてはない。

(週刊東洋経済12月10日号)