自国民に「平和」と「繁栄」をもたらすこと。世界に二百あまりの国がある中で、戦後日本はこの二つをおおむね達成した部類に入ることに、疑いはないのかもしれない。果たしてそれは十分なことであろうか。あるいは何かが足りないのだろうか。
国際社会とのかかわりで日本に足りないものがあるとすれば何か。もう一つの「 」を考えてください。筆者が担当する授業でこのようなアンケートをしてみた。
群を抜いて多かった答えは「自立」であった。「自信」や「主体性」など、これに類するものまで含めれば、実に答えの大部分を占めた。ここでいう「自立」とは果たして何を意味するのであろうか。すぐに念頭に浮かぶのは、アメリカからの「自立」であろう。学生たちの答えも同様であった。
アメリカからの「自立」とは何を意味するのか。日本が主体的に判断するということであろう。では日本はいかなる価値と世界観をもって、国際社会において自立した判断を下すのだろうか。「自立」の内実を問い始めれば、それは必ずしも容易なことではない。
アメリカからの「自立」の衝動が、戦後六十年を経た今になってもこれだけ根強いのは、戦後日本が「対米追随」で覆われてきたという認識が、その前提にある。だが戦後日本を対米関係ばかりではなく、「アジア国際政治」という枠組みで眺めてみると様相は相当に異なってくる。
戦後アジアにおいて、アメリカに本当の意味で忠実であったのは韓国、台湾、オーストラリアといった反共・自由主義陣営を鮮明にしていた国々であり、これらの国々は朝鮮戦争やベトナム戦争をアメリカと共に戦った。アジア太平洋におけるアメリカの同盟国の中にあって、これと一線を画する立場を貫いてきた日本は、実は相当に異色の存在であった。
もちろん憲法の存在は大きかったが、それを実効あるものにしたのは、日本の国内政治・世論の意志であった。それにもかかわらず、これだけ「対米自立」の衝動が強固でありつづけてきたことは、果たして何を意味するのだろうか。論者によってはそこに、潜在的に強固であった戦後日本のナショナリズムを見いだすかもしれない。
それに加えて筆者は、戦後日本が抱いていた、殊にアジアに対する「世界観」にその理由を見いだす。平和憲法を掲げながらも実質的な対米同盟下にあり、「一国平和主義」などとくくられる戦後日本に、「世界観」などあったのだろうか。
戦後長らく戦乱と混乱で覆われたアジアの根底に横たわる真の問題は、アメリカが考えるような「共産主義か、否か」という冷戦的イデオロギー対立にあるのではない。真の問題は、「独立」を勝ち取ったアジアのナショナリズムの行方なのであり、冷戦的イデオロギー対立は、この根底にある問題から派生した現象にすぎない。それが恐らくは、潜在的だったにせよ戦後日本が抱いた、アジアに対する「世界観」であった。
そうであればこそ戦後日本、殊に世論は、インドネシアのスカルノなど共産圏寄りとも見えた中立主義者をはじめ、中国や北ベトナムの共産主義ですら、イデオロギーというよりもアジアの「民族主義」の一種ととらえてこれに同情的な傾向にあり、冷戦の観点から時に軍事力をもってこれを封じ込めようとするアメリカに対して一貫して違和感を抱き、距離を置き続けた。「対米対髄」への根強い抵抗感は、アメリカとの「世界観」のズレを裏腹にしたものだったのである。
この戦後日本の「世界観」は、アジアのナショナリズムは、「革命」や「階級闘争」といった一足飛びの方法ではなく、地道な開発による経済建設へと向かうべきだという、もう一つの価値判断と表裏を成していた。それは「階級対立」として分析され得る問題を、経済成長によって発展的に解消するという暗黙の国民的合意の下で経済成長にいそしんだ戦後日本自身の「生き方」と重なるものであった。
イデオロギー対立による分断と戦乱のない、開発と経済成長で覆われたアジアはまた、日本が進出し得る新天地となるはずであった。
二〇〇六年の今日、日本とアジアを取り巻く状況は、かつて日本が思い描いた「アジア」が具現した姿にほかならない。にもかかわらず、昨今の日本とアジアをめぐる混迷はどうしたことであろうか。
戦後日本の「世界観」において、「経済成長」はいわば万能の処方せんであった。今日、それは依然有効ではあるが、もはや万能ではない。経済成長が地域のパワーバランスを変動させ、国によっては「民主化」を生み出し、新たな「政治の季節」の到来を告げている。
戦後日本のアジアに対する「世界観」は、それが現実のものになったことからしても、アジアの戦後史の主軸を的確に把握したものだったのであろう。二十一世紀のアジアの歴史の主軸は何か。それに対応して「世界観」をいかに発展的に深めていくのか、新たなチャレンジが始まっている。それを探り当て、築いていくことこそが、日本の「自立」の本当の中身のはずである。
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