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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
年の初めに
山口 二郎
 
 
 
 二〇〇六年最初のコラムである。今年の政治を展望するというような文章を書かねばならないのだろうが、何も見えてこない。正月の新聞を見ると、ポスト小泉をめぐる競馬の予想みたいな記事が並んでいる。要するに、政治が小泉の一党によって私物化されているということである。そして、メディアまでもがそれに荷担している。こんな記事を読んでいると、どうせ今年もろくな事はないだろうとしか思えない。

 正月休み、酒を飲みながら落語のCDを何枚も聞いた。特に心に残ったのは、古今亭志ん朝の「文七元結」だった。あらすじは、ざっと以下の通りである。左官の長兵衛は博打好きが高じて大借金をこしらえ、娘が遊郭に行って作った五〇両の金で借金を返し、生活を立て直そうとする。しかし、もらったばかりの売掛金をすられたことを悲観し、川に身を投げようとする若者、文七とたまたま行き会い、その五〇両を与えてしまう。実は、売掛金をすられたというのは文七の思い違いで、金は買い主からちゃんと店に届けられていた。事の顛末を聞いた文七の主人は、長兵衛の度量に感心し、五〇両の金を返すとともに、娘を身請けした。後に文七とその娘は所帯を持つことになる。

 金儲けが人間の活動にとって至高の目的であるかのごとき風潮の中でこの話を聞くと、ひときわ感動的である。過去を美化するのは私の好みではない。みんなが長兵衛のような行動をとれるわけはない。しかし、この話が古典落語の名作として長く語り継がれてきたということは、自分の財産を犠牲にしても困った人を助けることが人間として立派な生き方だという理想を、長い間日本人は受け継いできたことを意味する。

 しかし、現実には小泉政治のもとで、社会の荒廃が猛烈に進んでいる。暮れの一二月二九日、共同通信配信で次のような記事が地方紙に載った。

 「国民健康保険の保険料を滞納して保険証を返還し、医療機関の受診の遅れから病状が悪化、死亡したとみられる患者が過去六年に少なくとも十一人いたことが二十八日、共同通信の調べで分かった。患者のほとんどは不況の影響などによる低所得者という。滞納世帯は年々増加し、保険証を返還した世帯は昨年六月時点で約百三十万世帯。誰でも安心して医療が受けられるはずの国民皆保険制度の中で「格差社会」の一端を示した形だ。」

 実は、昨年暮れ、私は母を病気で亡くした。末期医療の中で、私はまだ国民皆保険制度の有り難みを実感した。しかし、これから小さな政府という名の下で福祉国家の解体が進んでいった時に何が起こるかを、実感をもって想像することができた。その矢先だっただけに、この記事を読んだ時、本当に怒りで体が震えた。小泉改革の先導者たちは、本気で命を金で買う社会の作りたいのだ。だからこそこのような問題が放置されているのだ。

 メディアと国民が小泉劇場を面白がっている間に、日本はここまでひどい社会になったのだ。確かに、政治でろくな事は起こらないだろう。しかし、悲観に暮れている場合ではない。金儲けを優先し、人間の尊厳を顧みない連中と戦わなければならない。私自身もあらゆる機会を捉えて発言を続けたい。

(週刊金曜日1月13日号)