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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
驕る小泉は久しからず?
山口 二郎
 
 
 
 新年の新聞各紙を見るとポスト小泉の政局を占う記事が目に付いた。中には競馬新聞と同じ作りで有力候補を並べ、○や△をつけたものまであった。いい加減にしろと言いたい。自民党総裁選挙が今年の最大の政治イベントであることは確かであろう。しかし、メディアは誰が次の総理・総裁になるかということばかりに関心を向けて、小泉政治の総括という重要な作業を怠っている。

 そもそも小泉政権が進める改革なるものは、郵政民営化を除いて詐欺に等しいと言うべきである。税や社会保障における国民負担の増加は昨年の総選挙でまったく触れられておらず、国民は同意を与えた覚えはないはずである。だからこそ、通常国会では各党が予算や税制、社会保障のあり方について徹底的な論争を行わなければならない。小泉政権が進める改革なるものが現在の日本に対して的確な処方箋かどうかは、決して自明ではない。小泉一座による政治ドラマの中で置き去りにされた政策論議を諦めずに行うことこそ、野党やメディアの務めである。

 自民党総裁選挙に一般国民を巻き込むことで、五年前の小泉旋風と同じメカニズムを再現しようという声もあるようだが、そんな企てにメディアが乗れば、それは民主政治の死滅につながる。

 在任最後の年を迎え、小泉首相は絶対的権力者として、ますます自己陶酔に耽っているようである。特に、年頭記者会見における靖国神社参拝の正当化には驚いた。靖国参拝は自分の心の問題であって、国内のメディアや識者、さらには外国政府に口を出されるいわれはないと言い切った。この発言には多くの誤りがある。

 そもそも心の自由あるいは内面的自由とは、権力の干渉から個人の思想や宗教を守るための原理である。日本の最高権力者である小泉首相が自分にも心の自由があると開き直る光景は、奇妙としか言いようがない。心の自由を主張するのは首相の座を退いた後にすべきである。首相の行動、言動は即ち日本という国の考えや振る舞いとみなされるのが当然である。新年早々小泉首相が依怙地な姿勢を貫くことによって、二〇〇六年もまた東アジアのいさかいの年になってしまった。彼は、自分の意地は日本の国益よりも大事だとでも考えているのだろうか。ここまで驕り高ぶった権力者の姿を見て、国民も小泉マジックから目を覚ますべきときである。

 実は、国民の目覚めと戦没者の追悼とは密接に関係している。世間では「男たちの大和」という映画がヒットしている。その中で、沖縄海域に特攻出撃する戦艦大和の艦内で青年士官が自分たちは何のために死ぬのか議論する場面がある。一人の士官は日本人の目を覚ますために自分たちが犠牲になるのだと自らを納得させる。

 国民が目覚めるとは、権力者の叫ぶ威勢のよい掛け声に踊らされることなく、何が日本のためになるかをしっかりと考え、それを声に出すことであろう。さらに言えば、国民が日本の行方を決定する主人公として責任を持って行動することであろう。小泉首相は戦没者を追悼すると言いながら、行っていることは国民の目を覚ますのとは正反対である。外に対しては隣国を侮り、内においては単純なスローガンの連呼によって国民を思考停止の状態に追い込む。小泉政治こそ、戦没者の犠牲を無にしているのである。

 小泉首相がキングメーカーとなることによってこうした政治が継承されることは、日本にとっての大きな禍である。通常国会で、また自民党総裁選挙に向けて、自民党内からも野党からも、小泉政治の総括を問う論議こそが求められている。

 政策面で今年の最大のテーマとなるのは、リスク社会への対応であろう。その中で、小泉流の小さな政府という路線の有効性が問われてくるはずである。昨年末は建物の耐震設計偽装問題が大きな社会問題となった。他にも、鉄道や航空機の事故、アスベスト汚染による健康被害、暖房器具の欠陥など多くの問題が発生し、国民の安全を脅かした。一連の事件は、利益を追求する民の行動を放任していれば、時としてそれが暴走し、人々の生命や財産が犠牲とされることを物語っている。

 リスクはそのような経済活動にともなうものだけではない。下流社会という言葉が流行語となり、社会の二極化が進んでいる。特別な運や才能には恵まれていない普通の人々にとって、安定した働き口を見つけることや結婚し子供を作ることが、どんどん困難な課題になりつつある。この種の難題も広い意味でリスクと呼べば、職業生活や家庭生活に関するリスクは普遍化しつつある。そのことが単身者の増加と人口減少をもたらし、社会の活力の低下の原因となっている。

 この冬の大雪はもはや災害のレベルに達したが、過疎化や高齢化が進む地域はこのような自然災害のリスクに対してもきわめて脆弱になったことが明らかになっている。

 リスク社会を生き抜くために必要な大前提は、すべての人が災難を他人事と思わないということである。自分の住んでいるマンションにも耐震設計の偽装があるかもしれない、自分の子供も引きこもりになるかもしれないと感じるところから、リスクを社会全体で管理するための政策論議が始まる。小泉政権の唱える「官から民へ」、「小さな政府」というスローガンでリスク社会への対処ができないことは明白である。今のところ、自分たちだけはリスクと無縁だと考えている強い人々と、目の前にあるリスクが見えない普通の人々とが小泉政治を支持している。

 耐震設計偽装事件やアスベスト汚染の問題は、現代のリスク社会において政府が国民の生命や財産を守るために何をなすべきか、改めて考える契機となるべきである。この作業はまた、小泉政治の総括と重なってくるはずである。五年に及ぶ小泉政治が終わるはずの今年、政治におけるまともな議論を復活させることが必要である。

(週刊東洋経済1月21日号)