新年最初のコラムでは、悲観的な予測を述べたが、政治の世界では一寸先は闇である。昨年くれから今年にかけて小泉流新自由主義のひずみや破綻を示す出来事が相次いで、人々が「小さな政府」という呪文から解き放たれる時がようやく来た。小さな政府の危険性を警告してきた私から見れば、やっと気づいたかといいたいが、小泉首相が退陣する前に小泉政治の問題性が明らかになったのはよいことである。
ライブドアの粉飾は、結局小泉構造改革なるものが、大多数の国民に対する苛酷で冷淡な政治と、少数のインサイダーにとっての縁故政治の組み合わせであったことを物語っている。昨年の総選挙で自民党が堀江貴文氏を事実上全面支援したことは、同党の歴史における汚点となって残るであろう。堀江氏の不正を見抜けなかったという結果論で弁明できる話ではない。「金さえあれば何でも買える」と公言するような人物を幹事長が「わが息子」と持ち上げ、堀江氏のビジネスに政府・自民党が巨大な信用を付与したのである。違法行為を見抜けなかったことについては責任を問えないであろうが、「金儲けのためなら何をしてもよい」という堀江氏の哲学を見抜けなかったのであれば、武部勤幹事長、竹中平蔵総務相をはじめとするそのような政治家は即刻政界を去るべきである。
米国産牛肉の中に背骨が見つかったという事件も、小泉政治の無責任を物語っている。事件発覚後の報道の中で、米国における事前調査に基づいて輸入再開が可能かどうかを決定するという閣議決定や消費者団体への説明を裏切って拙速に輸入が行われたことが明らかになった。ブッシュ政権の強い圧力に小泉政権が屈し、まさに政治的決断によって牛肉の輸入が行われたことは明らかである。結局、小泉政治とは国民の安全を守ることよりも、アメリカのご機嫌をとることを優先させるということを、一片の牛の背骨は教えている。右派ナショナリストは、皇室典範改正問題でいきり立つよりも、国民不在の牛肉輸入問題で怒るべきである。
小泉政権は発足以来五年間、「政府の失敗」をタネに政権を維持してきた。そのことがすべて間違いだったとは私も思わない。無益な景気対策を止める、一部の官僚や族議員の乱脈を国民に教えるなどの効果があったことも確かであろう。しかし、政府の失敗を強調するあまり、すべてを市場競争や民間の営利追求に任せればうまくいくという神話を撒き散らしたことの罪は大きい。さらに、小泉政治が金科玉条としてきた市場競争原理が不徹底で抜け穴だらけだったことは、もっと罪深い。インサイダーにとって寛大な縁故政治の実態は、ライブドアや耐震偽装事件の捜査によって解明してほしい。また、防衛施設庁ぐるみで繰り返されてきた官製談合事件は、小泉政治もこのような聖域にはまったく触れようとしなかったことを示している。
この一ヶ月間に起こったいくつもの政治経済事件を契機として、ポスト小泉をめぐる政治論議を誰が勝ち馬になるかという競馬の予想から、小泉政治の失敗をいかに克服、是正するかという政策論争に転換しなければならない。通常国会の論戦の盛り上がりに期待したい。野党も、小泉政治に疑問を感じてきた自民党や公明党の政治家も、遠慮なく発言すべきである。
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