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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
構造改革と政治
山口 二郎
 
 
 
 前回の本欄で、リスクへの対応が今年の政治の最大の課題となるだろうと述べたが、実際に今年に入ってからは、市場競争、利潤追求を至上価値とする小泉政治の破綻を物語る事件が相次いでいる。また、格差や貧困の問題に対する世論の関心も高まっている。ようやく小泉政治の総決算について公平な議論ができるようになったという印象である。

 今までの日本では病気、貧困、倒産などのリスクを社会全体で分担する仕組みが様々な形で整備されてきた。談合も零細業者にとってはリスクの社会化の仕組みである。リスクの社会化という作業自体は政治の本質的役割のひとつであるが、残念ながら戦後の日本では不透明な官僚支配と腐敗した利益政治によってこれが行われてきた。そこには必然的にモラルハザードが起こる。田中直毅氏の言葉を借りれば「弱者づら」をした人々が政治家や官僚とつるんで不当な利益をむさぼる結果になる。

 小泉政治が攻撃し、ある程度改革したのは、こうした利権共同体によるリスクの社会化であった。そして、バブル崩壊以後リストラの十年をくぐり抜け、競争原理に曝されてきた経営者、サラリーマンはこぞってこの路線を支持した。しかし、ワンフレーズの小泉政治はあまりに単純であり、いくつもの誤りを犯した。

 第一は、市場原理の適用による効率化、透明化が掛け声だけで、日本の政治・行政の暗部を本当に変えられていない点である。防衛施設庁発注の公共事業をめぐる官製談合は、その証拠である。談合自体が小泉政権のせいだとは言わない。しかし、日本の官庁による発注の中に談合があることは常識であり、小泉政権が本気で小さな政府を追求するのなら、もっと早く談合撲滅のための行動を起こせたはずである。今頃になって防衛庁長官が施設庁解体を唱えても、言い逃れでしかない。民営化が利権政治の解消に自動的につながるものではないことも、ここで指摘しておきたい。郵政公社の民営化は巨大な利権を生み出しうる。その過程について、透明性と説明責任が重要であることは、いくら強調してもしすぎることはない。

 第二のより大きな問題は、市場原理を美化するあまり、利益追求にともなうモラルハザードを見過ごしたことである。19世紀以来の資本主義の歴史は、貪欲がもたらす害悪を矯正する努力の歴史でもあった。モラルハザードはエセ弱者だけの問題ではない。市場で勝ち残る強者もまた、しばしば「ばれなければ何をしてもよい」というモラル崩壊に陥る。堀江貴文氏の粉飾について、違法行為を見抜けなかったからといって武部勤幹事長や竹中平蔵総務相を非難するのは酷であろう。しかし、「金儲けのためなら何をしてもよい」という堀江氏の「哲学」を見抜けなかったのなら、そんな人物は即刻政治家を辞めるべきである。市場原理の解放は、決して小さな政府をもたらすわけではない。ルールを厳格に執行するためにより強力な政府を必要とする場面もある。

 第三の最大の問題は、小さな政府という掛け声とともに、リスクの社会化という理念そのものを否定した点にある。自己責任と小さな政府は表裏一体である。田中直毅氏のように、リスクの社会化にともなうモラルハザードを重視する人々は、自己責任原理を社会に適用し、例外的な真の弱者のみに政策的保護を与えるべきだと主張する。この議論に従うならば、高齢者、過疎地などは今までの利益配分政治の恩恵に浴して、福祉政策にフリーライドしてきたということになる。しかし、これはまったく現実離れした強者の議論である。人間は生まれるときに場所や境遇を選ぶことはできない。自分の責任ではない理由によって苦しむ人は世の中に大勢いる。そのことは、この冬の雪害を見れば明らかであろう。自然環境が厳しく、雇用もないような地方に人は住むべきでないと小さな政府論者は言うかもしれない。では、都市に人が集中し、低賃金労働に従事するような社会が望ましいのであろうか。

 また、真の弱者を識別するということは簡単ではない。たとえば不運にも耐震偽装のマンションを購入した人々が物語っているように、普通の暮らしをしている自立した人も何かの拍子に弱者になってしまうのが現代社会である。親の介護、子供の教育や自立など普通の人の暮らしを脅かすリスクは多種多様である。こうしたリスクに直面した人がたちまち不幸にならないように、リスクに対する社会的な備えをすることこそ、政治の任務である。リスクの社会化とは、例外的な弱者のために必要なのではなく、社会全体にとって必要なのである。

 堀江氏逮捕の直後、1月下旬に、私の研究プロジェクトは政府の大きさや役割について、東京都と北海道で世論調査を行った。「負担は大きいがサービスもする大きな政府」と「負担は小さいがサービスをしない小さな政府」のどちらが望ましいかという問いに対して、北海道で大きな政府派が多い(全体の60%)ことは予想通りだったが、東京でも50%強と小さな政府派を上回った。また、望ましい国の姿として「効率的な都市集中の国」と「地方にも人が住める、効率にとらわれない国」のどちらを支持するかと尋ねたところ、東京でさえ85%強の人が効率にとらわれない国を支持していた。腐敗した利権政治や政府の無駄を省くのは当然であるが、経済効率だけを優先する社会も困るというのが大方のコンセンサスのように思える。

 戦後日本の安定と調和は遠い過去のものとなった。景気回復の中で繁栄と貧困が同居している。しかし、日本がこのまま二つの国に分裂することを放置してよいのか。仮にそれを食い止めるとするならば、従来の再分配政策に代わってどのような政策が有効なのか。構造改革の光と影に対する関心が高まった今、与野党とも通常国会での論戦を深めてほしい。

(週刊東洋経済2月25日号)