二月末からしばらくヨーロッパに滞在してきた。主たる目的は、イギリスのシェフィールド大学で開かれた戦後日本に関するシンポジウムで発表することであった。この会議にはロナルド・ドーア氏などイギリスの日本研究者が集まっていて、私にはポスト小泉の展望、ライブドア・ショック以降の日本政治に関する質問が集中した。
民主党の失態について私は、ひとことで言えば、「よい子野党」の限界が露呈されたということだと説明した。民主党は今まで、昔の革新政党に対する反発が強すぎたゆえに、建設的な野党、健全な野党という幻影を追いかけてきた。そして、現実的な政策提案に熱心で、政府を攻撃することには慣れていなかった。今回偽メールに引っかかった民主党の若手も、官僚出身の政策通であった。自民党も「改革競争」などという美名で民主党の「よい子」路線を助長した。
その結果、国会論戦はよい子の学習発表会の様相を呈することとなった。権力を追求するためにはあらゆる手段が許されるという政治のリアリズムが彼らにはまったく分かっていなかった。そのことのつけはあまりにも大きい。民主党が自滅したために、小泉政治の破綻に対する追及はすっかり影を潜めてしまった。新自由主義的経済政策の弊害について国民的な議論を進める絶好の機会をつぶした民主党の罪は、きわめて大きい。
サッチャリズムの時代をくぐり抜け、小さな政府の弊害について身を以って経験したイギリス知識人から見れば、日本の最大野党民主党がなぜもっと徹底して「小さな政府」に対する批判を展開しないのか、不思議で仕方ないようである。また、多数決で負けるに決まっているのに、現実的な政策提案に労力を費やす野党の姿も、イギリスから見れば理解しがたいものである。
昔の革新政党の失敗から何を学ぶか、民主党は勘違いしているように思える。国会で爆弾質問をして政府与党を立ち往生させることは野党としての戦果であり、決して否定すべきものではない。五五年体制下の野党の最大の罪は、権力への無関心にあったと言うべきである。権力を取るには、情における権力欲と知における政策の両面が必要である。昔の社会党にはその両方が欠けていた。今の民主党には知における政策らしきものはあるのかもしれないが、権力欲はまったく欠けている。権力闘争が分からないからこそ、学習発表会の演技で国民が自分たちを選んでくれるという幻想を持っているのである。民主党は、今回の失態を教訓に、戦う野党と政策に強い野党の両立を目指して、党風の改革を目指すべきである。
ポスト小泉の首相候補については、ドーア氏と論争があった。私は、政権交代可能な二極的政党システムを作るためにはあえて安倍晋三が次の首相になることが望ましいと言った。外における対米追従、内における新自由主義という組み合わせが続けば、野党としての政権交代に向けた展望を描きやすくなるというのが私の主張である。これに対してドーア氏は、私の議論は日本国内の政治だけを見た身勝手なものだと批判した。小泉が作り出した東アジアにおける軋轢をこれ以上続けることはアジアのみならず、世界にとっての迷惑だと氏は主張した。政権交代がそんなに大事なことですかという氏の問いかけに、民主党の体たらくを踏まえれば返す言葉もなかった私である。
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