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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
民主党の苦境と政党政治の将来
山口 二郎
 
 
 
 三月一五日の各紙朝刊に民主党および永田寿康代議士による謝罪広告が掲載された。国会における追及が虚偽であったことを詫びる新聞広告というのは、おそらく日本の議会史上初めての珍事であろう。今回の事件は、民主党指導部の混迷も相まって、この党の存在自体を危うくしているように思える。ここで改めて日本における政党政治の特質について考えてみたい。

 政権交代可能な二大政党制というふれこみで民主党ができて十年近くになる。しかし、野党としての戦い方のモデルがまだできていない。今の民主党は、五五年体制時代の万年野党社会党の影と戦っているように思える。もちろん、社会党は立派な野党ではなかった。政権を取る志も、実現すべき政策も十分持っていなかった。昔の野党と違うことを強調したい民主党は、政権交代への志を語り、政府与党に抵抗することよりも政策を論じることを好む。行儀はよく、国会での戦い方も控え目である。まじめに政策をアピールすることで政権交代を起こせると期待している。

 しかし、社会党の影と戦うあまり、野党本来の役割を見失っている面もある。政治はフィギュアスケートよりも格闘技に近い。権力を奪い取るには、よい政策を提案して自分の点数を上げることも大事だが、敵の失策を攻撃して敵の点数を下げることも必要である。政府与党の政策が順調で、国民の支持も高い時には野党の出番はない。政府与党の政策の破綻を予想して、敵に逆風が吹いたときにそれを最大限活用する戦略を描いて、ひたすらその時を待つのが野党の仕事である。今年に入って市場の暴走、格差拡大を契機に小泉政治への疑念が広がり、民主党は久しぶりにそうした時を迎えたはずである。民主党も意気込んでその機会を生かそうとしたが、喧嘩に慣れていないため、自爆する結果となった。

 政府の失敗を追及することは野党の重要な役割であり、遠慮する必要はない。また、多数決原理のもとでは野党にできることには限界がある。だからこそ、大義名分があれば物理的に国会を空転させることや閣僚の首を取ることも是認される場合がある。たとえば、通常国会冒頭の一月末に、米国産牛肉の輸入再開に関して、危険防止のための閣議決定が十分実行されていないと中川昭一農水相が答弁し、予算委員会がごく短時間、空転したことがあった。この時など民主党が、小泉政権は国民の健康よりも対米配慮を優先させたと非難して中川氏の更迭を要求し、補正予算の審議が止まっても、世論はこれを支持したであろう。あの時から、前原民主党は小泉政権への逆風を利用できないことは明らかであった。

 野党に建設的な政策を提案する能力と国会で政府与党と対決する能力の両方が備わって、初めて政権交代への可能性が広がる。しかし、民主党にとって今回の自滅の痛手はあまりにも大きい。代表選も清新なリーダーを選び出すというより、党の内紛をさらに印象付けるという結果になりそうである。政権交代への道の遠さに、嘆息するばかりである。

 五五年体制の時代には、自民党内の派閥争いによる権力移動が政権交代をある意味で代替したという議論がある。自民党内の振り子がふれることで時代の変換に対応したという、振り子の論理である。今の自民党の動きを見ていると、振り子の論理が過去のものになったと断じることは早すぎるようだ。

 私は今、ある月刊誌で「小泉政治への対抗軸」というテーマの下、小泉政権を批判している主要な政治家との対談を連載している。元気なのは加藤紘一、亀井静香、鈴木宗男という自民党で小泉に煮え湯を飲まされた人々である。権力闘争の味を知っている彼らにしてみれば、「逆風四点セット」でようやくチャンス到来というわけである。しかし、これは単なる派閥や怨恨の次元の話にはとどまらず、政策転換につながる可能性がある。多くの保守政治家は自らの支持基盤である地方の疲弊を実感している。このまま「小さな政府」路線を貫けば、自分の支持者も干上がってしまうという瀬戸際にある。アメリカ流の小さな政府路線を継続するのか、自民党本来の親切な保守政治に戻るのかというのが、総裁選挙の内政上の争点となるに違いない。

 仮に加藤、山崎拓などのベテランが福田康夫元官房長官を次の総理に押し上げることができれば、それこそ振り子の論理による軌道修正ということになる。そうなると二大政党制などまったくの幻想となる。

 二月末にイギリスで開かれた「日本における戦後の終わり」という国際シンポジウムで、私はこの点についてイギリスの専門家に説明した。そして、ある程度の政策的差異に基づいた二大政党制を実現するためには、この際個人的な好みは別として、安倍晋三がポスト小泉の首相となり、対米追随と小さな政府の政策を継続することが望ましい。そうなると、民主党はアジア重視と平等重視という政策軸を立てて、自民党と戦いやすくなると述べた。すると、ロナルド・ドーア氏から、それは日本の国内だけを見た身勝手な議論だと批判された。小泉首相が作り出した東アジアの国際摩擦をこれ以上続けては、アジアのみならず世界の迷惑になるというのである。そして、日本にはそれほど二大政党制や政権交代が必要とされているのかと、厳しい質問を受けた。民主党の惨状を前に、私も返す言葉がなかった。

 自民党得意の振り子の論理を封じるためには、民主党が先んじて小泉政治の破綻を踏まえた政策構想を打ち出すことが必要である。いつも同じ話の繰り返しで書く方もいやになるが、日本の政党政治のためにはそれしか道がないであろう。

 なお、前回紹介した格差社会に関する世論調査の結果を私の研究プロジェクトのホームページ(http://www.juris.hokudai.ac.jp/global-g/report200602/)に載せたので、関心のある方はごらんいただきたい。

(週刊東洋経済4月1日号)