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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
メディアの頑張りに期待
山口 二郎
 
 
 
 先日、話題の映画「グッドナイト・グッドラック」を見た。映画としての出来については厳しい意見もあるようだが、エド・マローというジャーナリストがマッカーシズムと戦ったという歴史的事実を再確認して、私はともかく感動した。ジョージ・クルーニー監督が今この映画を制作した意図は明白であろう。「テロとの戦い」という新しいマッカーシズムに対して、アメリカ合衆国憲法で保障された言論の自由を守る勇気を持てと、ジャーナリズムに訴えているに違いない。

 五月三一日にNHK総合テレビで放映された「そのとき歴史が動いた」という番組も、NHKにジャーナリスト魂が残っていたことを感じさせる佳作であった。これは、ヴェトナム戦争に関するアメリカの報道の変化を紹介した番組で、一九六〇年代後半、当時のジョンソン政権がアメリカ流の「大本営発表」を繰り返していたとき、現地を取材したウォルター・クロンカイトやデヴィッド・ハルバースタムなどのジャーナリストが政治の圧力をはねのけて戦争の真実を報道する過程を描いていた。この番組を制作した人々も、イラク戦争をめぐる情報戦を念頭に置いていたに違いない。ジャーナリストたる者、常に真実を報道しようという呼びかけのようなものを私は感じた。

 小泉政治はメディアなしにはありえなかった。小泉は、政策論議を単純化し、善か悪かの二元論に流しこむことで国民を思考停止状態に追い込んできた。テレビを中心とするメディアは、そうした粗雑な議論を分かりやすいとはやしたててきた。小泉政治の不毛に対してメディアは責任を負わなければならない。さすがに、格差・貧困問題の深刻化や利益追求の行き過ぎがもたらす事故・事件が顕在化するに及んで、メディアにも小泉の唱える呪文への疑念が広がってきた。小泉政治の影の部分にもようやくメディアの関心が向き始めた。また、共謀罪など市民的自由を脅かす法案に対しては多くのメディアが批判の論陣を張り、衆議院で圧倒的多数を持つ与党を効果的に牽制した。昨年夏の選挙の前後における翼賛状況からは大きな変化である。もちろん、メディアの現状を楽観することはできない。しかし、こういう時だからこそメディアのよい仕事には賞賛を送り、これを励ますことも必要である。

 通常国会では教育基本法や国民投票法などの重要法案は継続審議となりそうである。小泉はもはや為政者としての責任を放棄し、世論の関心もポスト小泉の首相選びに向けられるであろう。自民党総裁選挙にメディアの関心が集中することは避けられない。しかし、政治手法とスローガンをめぐる空虚な戦いに国民を巻き込むことのないようにすることは、メディアの重要な使命である。安倍晋三など有力な候補者も、さすがに小泉政治との差異を示すために新しいキャッチコピーを打ち出そうとしている。苦労知らずの三世政治家に「再チャレンジ」などと言ってほしくはないが、ともかく彼らがどこまで現実的に政権構想を考えているのか、厳しく問い詰めるのがメディアの役割である。それは、小泉政権との関係の持ち方をメディアがどれだけ反省しているかが問われているということでもある。心あるジャーナリストの奮起を期待したい。

(週刊金曜日6月9日号)