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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
ポスト小泉レースをめぐる感想
山口 二郎
 
 
 
 福田康夫氏が出馬を断念したことで、自民党総裁選挙は消化試合になったという嘆きがメディアのあちこちから聞こえてくる。しかし、自民党内の政策論争を求める一見もっともらしい正論は、根本的に的外れだと私は考えている。

 自民党総裁選挙は国会議員の選挙ではない。この選挙で実際に影響力をもてるのは、自民党の国会議員である。一般党員も投票はできるが、一票の重みはまったく異なる。普通の国民にとっては単なる見世物でしかない。見世物を派手に演出して、国民も参加しているような幻想を振りまくことは、偽物の民主政治である。そもそも昨年の総選挙で国民は小泉総理・総裁に最大限四年の任期を与えた。にもかかわらず、自民党の党則と小泉自身の飽きで総理の座を放り出すというのは、憲政の常識に照らせば国民に対する背信行為である。もうすぐ辞めるとはいえ、首相は首相である。海外歴訪で散々馬鹿さ加減をさらけ出した小泉首相に対して、日本のメディアはもっと厳しい批判を加えるべきである。また、自民党が真に日本の品格を重んじる責任政党であるならば、そうした空虚な首相に対する反省の上に後継者選びを行うはずである。

 安倍晋三氏以外に小泉後継が見つからないということは、自民党内の大勢が小泉路線の継承を支持していることを意味している。それはそれで、総裁選挙の重要なメッセージである。今までの自民党には、ある程度の自己修正作用が存在した。あるときの首相が行き過ぎや失敗で退陣すれば、次の首相は反対のイメージを演出して国民の目先をかわすという振り子の論理である。主流―反主流の派閥争いも、振り子の論理の原動力となったという点では決して無意味ではなかった。

 しかし、小泉政治の五年間で、自民党は新自由主義と対米従属路線に純化され、敵対する者は党外に追放され、党に残った者も逼塞を余儀なくされている。要するに自民党には人材が払底している。昨年の選挙で頭数は増えたが、政党としての生命力は低下している。小泉政治の矛盾が噴出してくるのは、これからが本番である。そうした課題に対応するためには、小泉政治を厳しく検証し、これを否定することが必要となる。しかし、毛並みがよいだけがとりえの安倍晋三にそうした「父親殺し」ができるはずはない。小泉政治がもたらした棄民政策に対して国民が怨嗟を募らせる中で、安倍は難しい舵取りを迫られるに違いない。

 小泉政治という見世物は終わった。これからは政治の動乱が始まるに違いない。問題は野党の態勢である。安倍政権はイギリスのサッチャー政権を引き継いだメージャー政権のような位置づけになる。一九九二年の選挙では、当時の野党労働党はメージャーを侮って、油断していまい、思わぬ敗北を喫した。民主党にはこれから必死の戦いが求められている。繰り返しになるが、国内における新自由主義、対外政策における対米従属という二つの柱に対して、別の政権構想を突きつけることこそ野党の課題である。メディアの関心が自民党総裁選に集中するのは仕方ない。消化試合に対するつまらないコメントがあふれている隙に、きちんとした党内論議で政権構想を固めるべきである。

(週刊金曜日8月4日号)