安倍氏が総裁戦で圧勝する勢いだが、私には、なぜ安倍氏の人気が高いのか、いまだによくわからない。対北朝鮮政策では、ある種の存在感を示したとはいえ、何しろ官房長官以外に閣僚経験がなく、政治家として評価する材料がない。
小泉首相が可愛がって後継者にしようとしていること、ポスト小泉候補の中で一番若いこと、そして岸信介元首相の孫、安倍晋太郎元外相の息子という毛並みの良さ。そうしたことからくる、根拠の弱い、ふわっとした大衆人気のようなものがあって、それが自民党の中に反映され、安倍氏に乗っかるというなだれ現象が起きた。政治家自身が大衆化してしまったということなのだろう。
そして、なだれ現象の大きな要因となったのは、小選挙区制のもとで小泉首相が党内の中央集権化を進め、反主流派の居場所がなくなってしまったことだ。
加藤紘一・元幹事長の実家が放火された事件で自民党の反応が鈍かったのは、小泉、安倍両氏がなかなかコメントを出さず、彼らが何を言うか、皆が様子見を決め込んでいたからと聞く。基本政策を軸にして党を統合することが間違っているとは思わない。だが、権力者の顔色をうかがって、暴力による言論抑圧のような重大な問題まで口をつぐむのでは民主主義の破壊だと言わざるを得ない。
政策面を見てみると、安倍氏は教育改革に熱心だと言うが、著書「美しい国へ」を読んでも、「モラルの回復」といったたぐいの「お説教」ばかりが目立つ。いまの教育が抱える一番の課題は格差だ。恵まれない家庭環境の子供が大学に進学できる仕組みを作ることは、安倍氏が重視する「再チャレンジ」の発想にもつながると思うのだが、そうした社会の仕組み作りへの言及は乏しい。
そもそも、政治家が「美意識」を前面に掲げること自体に違和感を覚える。「美しくないもの」の排除につながり、ブレーキが利かなくなる危険をはらんでいる。
また、安倍氏は戦後の民主主義は敗戦によってもたらされたことをどう考えるのか。安倍氏の言う「戦後レジームからの脱却」と、民主主義の擁護は矛盾する。民主主義という価値は歴史認識と不可分であり、それは靖国参拝問題と直結する。安倍氏はこの問題から逃げてはならない。
安倍氏は外交面では小泉首相の国家主義的路線を基本的に継承し、経済政策など内政面では官僚依存を一層強めるだろう。自民党と民主党でかみ合った論争をすることを期待したいが、心配なのは、米国でキリスト教原理主義者・ネオコン(新保守主義者)と穏健リベラルの間で、対話不能なまでの分裂が生じているのと同様の状況が、日本の言論界にもみられることだ。
もともと保守的とされてきた人が歴史の現実を踏まえて論を立てても、聞く耳を持たない狂信的な人びとがおり、まさにそうした人たちが安倍氏のブレーン集団を形成しているのである。こうした分裂が政治にまで持ち込まれたら、説明抜きの小泉流にさらに輪をかけた不毛な対立に陥ってしまうに違いない。
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