五年に及んだ小泉政治がもうすぐ終わる。小泉以前の自民党で五年も政権を持続したのは、佐藤栄作、中曽根康弘の二人であった。その二人が首相を退いた時、自民党では首相の座をめぐる激しい闘いが起こった。しかし、今回はすんなりと安倍晋三が後継首相に就任する形勢である。本稿では、ポスト小泉の自民党における凪状態を手がかりに、小泉政治を総括し、今の自民党が抱える深い矛盾について考えてみたい。
小泉首相が空前の人気を維持したままで五年間も政権を全うしたことは、旧来の自民党に対する国民の嫌悪という大前提なしには理解できない。小泉首相が登場したのは、森前首相の下で政権も自民党も国民から見放されたどん底のタイミングであった。小泉の「自民党をぶっ壊す」という叫びに国民が熱狂したのは、それまでの自民党に対する嫌悪や絶望が社会に蔓延していたからこそである。
約束を守って偉いと評価するか、無分別な蛮行と評価するかは人によって異なろうが、ともかく小泉は日本政治のいくつかの要素を壊した。この点を簡潔に振り返っておこう。
政策面の変化は、擬似社会民主主義の崩壊である。集権的官僚支配と族議員の利益配分政治の結合体は、地域間格差の是正や弱者保護という効果を伴っていた。経済的後進地域でも雇用が確保され、所得配分が平準化されたことは、これらの政策の結果という面もある。この点を捉えて従来の政策体系を擬似社会民主主義と呼ぶ議論もある。小泉政権の小さな政府路線は、この擬似社会民主主義を破壊した。景気対策としての公共事業の縮小、規制緩和による競争原理の浸透、社会保障や教育における国民負担の増加などが小さな政府路線の具体的な中身であった。今日問題となっている格差の拡大、地方経済の陥没などの変化は、擬似社会民主主義崩壊の帰結である。
政党組織における変化は、自民党の粛清である。かつての自民党は、多頭一身の怪物であった。党内の多様性といえば聞こえはいいが、総論賛成各論反対が自民党の伝統であった。一九八〇年代までは、自民党は政治学でいう包括政党として支持基盤を広げた。さまざまな地域や組織に利益配分の網の目を張り巡らせ、政策による恩恵と支持を交換する仕組みを作り上げた。しかし、そうした網の目が密になればなるほど、党内に既得権の塊を抱え込むという副作用も伴った。重要な政策について必ずしも一致できず、自民党は意思決定の能力を欠く場面がしばしばあった。特に、一九九〇年代以降市場開放、規制緩和、地方分権など官僚や族議員の既得権を剥ぎ取るような政策課題について、自民党は迅速な決定ができなかった。政治が世の中の変化についていけないという不満が社会に鬱積していった。小泉はこうした自民党の体質を変えた。小泉路線に異議を唱える者は抵抗勢力と非難され、いまや自民党内は「物言えば唇寒し」という状況である。
小泉はまた、政治における意味空間を破壊した。これこそ日本の民主政治にとって最大の災厄だと思える。かつて佐々木毅は、1980年代の利益政治全盛の自民党において、政治的意味空間が失われたと評したことがある。意味空間とは、巨視的な政治の路線、政策の大枠について有意義な議論が行われる場のことである。政治家が族議員として細かい利権にしがみつくばかりで、政策論議がないことを佐々木は批判していた。小泉は利益政治の仕組みを破壊したが、そのことは意味空間の回復をもたらさなかった。むしろ、政治における言葉はますます意味を失って行った。
過去五年間の小泉首相の「迷言」集を作ることは簡単である。国債発行額を三〇兆円以内に抑えるという公約を守れなかったという追及に対して、「この程度の約束を守れなくてもたいしたことはない」と言い放った。自衛隊をイラクに派遣するに際して、戦闘が終結した地域に派遣するという建前の現実性を質問されると、「イラクのどこが非戦闘地域なのか分からない」と開き直った。これ以外にも、国会論戦においては質問への回答拒否、はぐらかしが目立った。要するに、これくらい不真面目な首相は今までに存在しなかったのであり、彼ほど言葉や論理を無視した政治家はいなかった。その意味では、小泉首相は民主主義の指導者としては失格である。議会にも、メディアにも、諸外国にも、小泉には何を言っても無駄だという諦めが漂っている。
社会学者の佐藤卓己氏は、メディアをめぐる大きな逆説について、次のような興味深い説明をしている。メディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もともとこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味ではコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディアの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない(『北海道新聞』(夕刊)八月一七日)。
小泉政治は多様なメディアをうまく利用したが、そこには単純化された一方的なプロパガンダがあるだけで、政治的なコミュニケーションは存在しない。むしろ、交信不能の断絶や亀裂が日本でも広がっている。政治的コミュニケーションの途絶とは、事実に基づいて議論する、自説に誤りがあればそれを自ら修正するといった議論のルールが成立しない状態を意味する。また、論理を組み立てるのではなく、信条や情緒を持ち出して自己の主張を絶対化する態度が蔓延する状態を意味する。こうした現象は、イラク戦争をめぐる議論に明らかなように、ブッシュ時代のアメリカで目立った。テロとの戦いという呪文、キリスト教原理主義のドグマ、イスラム教徒に対する偏見などが渾然一体となって、他者と対話するという雰囲気がなくなっている。そして、同じことが日本でも起きている。小泉首相のように「心の問題」を持ち出せば、それ以上は議論が成り立たない。国政の最高指導者が、他者に対しては挑発的な言葉を発しつつ自らは心の中に引きこもるという状態にあるのだから、政治の世界で対話が成立するはずはない。
その結果起こっているのは、政治家の実績に対する評価と政治家支持の分離という現象である。本来民主政治においては、政治家は国民に政策を約束し、国民はそれに基づいて政治家を選び、実績に応じて政治家への支持を継続したり取りやめたりするというサイクルが存在するはずである。しかし、小泉政治においては言葉が意味を失い、約束は政治家を縛るものではなくなった。むしろ、劇場政治という言葉が定着していることに示されるように、利権政治をたたく面白さ、自民党が粛清される爽快さによって人々は小泉を支持してきた。郵政民営化をめぐる解散総選挙こそそうしたドラマの頂点であった。「パンとサーカス」という言葉は、大衆批判を好む論者が、大衆迎合政治を批判するときに使う常套句である。小泉政治は、国民に対する利益還元を縮小した点で、サーカスだけでパンのない大衆迎合政治という新しいモデルを作り出したということもできる。
自民党の危機に登板し、2005年の選挙では空前の勝利を収めた小泉は、自民党の中興の祖として歴史に残るのであろうか。確かに、衆議院の議席数だけ見れば、そのように見える。しかし、今の自民党は持続可能なシステムとは思えない。そのことは、ポスト小泉の人材不足や政策構想能力の欠如に現れている。むしろ、小泉は耐用年数の切れかかった自民党を五年間延命させたに過ぎないのではないか。そのことは、小泉の政治手法と政策の両面で、指摘できる。
政治手法の面では、小泉は野党と対立するよりも、自民党内に敵を設定し、これと対立することで政治ドラマを演出してきた。それゆえにこそ野党の存在はかすみ、小泉は常に舞台の中央にいることができた。小泉政治とは、旧来の自民党と対立するという意味で、否定形の政治であった。しかし、こうした小泉政治の成功は、自民党にとって最大の危機となりうる。たとえて言えば、小泉は自民党という山はもうすぐ崩れると騒ぎ立てながら、この山に残った砂利を売り払って儲けてきたのである。自民党を粛清し、小さな政府路線を定着させたことで、もはや否定すべき敵、売るべき砂利もなくなった。
国内政策の面では、小泉は小さな政府路線を一枚看板としてきた。しかし、小泉流の小さな政府は所詮過渡期の議論である。なぜなら、政府の「無駄」をそぎ落として行った挙句に、政府はいったい何をするのか、小泉は何も語ったことがないからである。郵政民営化は小さな政府の仕上げだったのだろうが、小泉政権最後の国会で決まったそれ以外の政策は、医療制度改革をはじめとして財務官僚の発想で社会保障や公共サービスを削減するものばかりであった。ここで詳しく論じる紙幅はないが、国ぐるみで棄民政策が始まったと言うしかない。要するに、小泉改革はたまねぎの皮をむくようなものであった。公共サービスを削減していって、真に残る公共的な仕事について、何ら具体的なメッセージを国民に伝えていない。外交政策の面でも、小泉はアジアとの関係を自ら断ち切り、引きこもりを決め込んできた。このような路線が持続可能なはずはない。
結局、小泉政治は投機の政治であった。政治には権力闘争という側面もあり、そこにおいては投機が必要な場面もあろう。また、出だしの自民党総裁選挙からはじまって郵政解散に至るまで、小泉は政治的な賭けという面では大きな成功を収めた。それだけの胆力とカリスマ性を備えた政治家は、当代めずらしい。しかし、小泉は外交や社会保障など熟慮、対話や討議が必要な場面でも、「わが亡き後に洪水は来たれ」といわんばかりの投機を行った。投機によって築いた財を維持することは、後継者にとっては至難の業である。
自民党政治が退屈な、しかし大きな混迷にあるときに、メディアの論じ方はいかにも的外れのように思える。まともな批判をしても、先に述べた言説の二極化の磁場にはまり込んで行くという悩みがメディアの側にはあるだろう。しかし、メディア自身の怠惰によって、型にはまったような二極化が促進されるという面もある。今年に入ってから、政治報道の大きなテーマはポスト小泉の自民党総裁レースであった。そのこと自体は当然としても、新聞の政治報道は永田町攻防史観から抜け出せていない。有力な候補者に他の派閥がどのように絡むかというカビの生えたような政治記事が紙面にあふれていた。小泉は確かに自民党、特に派閥の構造を変えた。変わっていないのはメディアの政治報道である。競馬の予想よろしく総裁レースを報じるからこそ、血筋、メディアへの露出度、小泉の好みなどを総合して、安倍が本命扱いされた。メディアが安倍を本命扱いするから国民も安倍を次期総裁と予想し、世論調査の認知度が高まる。しかしそこに存在するのは主体性のない情報の循環である。次期総裁に誰がふさわしいかを国民とともに考えるというのであれば、候補者をさまざまな尺度から試さなければならないはずである。メディアがそうした作業を怠ったからこそ、「美人コンテスト」で安倍人気が高まり、根拠のない人気に引きずられて自民党内の大勢が決まるという連鎖が働いた。
ポスト小泉をめぐる報道の中では、小泉政治とは何であったのか、徹底的な総括が必要だったはずである。通常国会の終盤から、小泉首相には政権維持に対する無気力、無責任が目立った。国会終了後はほとんど意味のない外遊を重ね、一国の首相としてあまりに知性と品位を欠いた行動で顰蹙を買っていた。レバノン紛争が深刻化し始めたときにイスラエルを訪問したにもかかわらず、砂漠見物を能天気に楽しむというのでは、指導者の資格はない。このような小泉の政治をどのような意味で継承し、どのような意味で否定するのかは、総裁選挙の最大のテーマのはずである。メディアの側で小泉の軽さ、愚かさについてきちんと批判したうえで、候補者に小泉政治の評価を問うという議論の展開があれば、もう少し論争は深まるのではないか。しかし、小泉自身はエアポケットに入ったかのようにメディアの関心の外に置かれていた。日本のメディアには、近過去の事象でさえ、今とつないで考えるという歴史意識が欠如しており、常に眼前の出来事を追うことに目を奪われる。この点を改めることなしに、政治における論議が深まることはない。
安倍晋三以外に小泉後継が見つからないということは、自民党内の大勢が小泉路線の継承を支持していることを意味している。盛り上がらない選挙に対する不満がメディアにあふれているが、安倍を中心とする総主流派体制ができようとしていることは、総裁選挙の重要なメッセージである。今までの自民党には、ある程度の自己修正作用が存在した。あるときの首相が行き過ぎや失敗で退陣すれば、次の首相は反対のイメージを演出して国民の目先をかわすという振り子の論理である。主流―反主流の派閥争いも、振り子の論理の原動力となったという点では決して無意味ではなかった。要するに、今の自民党は権力闘争や路線論争の能力を失ったため、自己修正能力も失ったのである。
小泉政治の矛盾が噴出してくるのは、これからが本番である。そうした課題に対応するためには、小泉政治を厳しく検証し、これを否定することが必要となる。小泉政治の後継者には、心理学で言うところの「父親殺し」が必要なのである。しかし、毛並みがよいだけがとりえの安倍晋三に「父親殺し」ができるはずはない。小泉政治がもたらした棄民政策に対して国民が怨嗟を募らせる中で、安倍は難しい舵取りを迫られるに違いない。
自民党は、小泉という異質な政治家を消費することで、とりあえず五年間政権の地位を守った。あまつさえ、衆議院では三百議席もの多数を持ち、政権基盤は磐石に見える。しかし、小泉は自民党の再生をもたらしたわけではない。小泉というシンボル、雰囲気を吸引することでつかの間自民党は元気になるという錯覚を得た。その意味では、小泉は薬物のようなものである。この薬物の効果が切れたとき、自民党は禁断症状を起こすに違いない。安倍に父親殺しができないならば、より過激な言説をはくことによる人気取りというもっとも安易で、日本にとってはもっとも有害なやり方をとるか、中身のあることは一切語らず、官僚依存で政策の彌縫を続けるか、どちらかしかないであろう。まさに日本の民主政治の正念場である。
|