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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
安倍晋三氏に必要な言語能力
山口 二郎
 
 
 
 自民党総裁選挙は、最初から最後まで緊迫感を欠いたまま終わり、安倍晋三総裁の誕生となった。個人的な感想を言わせてもらえば、五〇歳を過ぎても祖父や父親が偉かったという自慢話を平然とするような人物を、圧倒的多数の支持で総裁に選ぶ自民党は、政党としての生命力をかなり失っているように思える。安倍氏は美意識を前面に出しているが、日本人の伝統的美意識では、身内の自慢を人前ですることはとても恥ずかしいことと考えられてきた。「美しい」に限らず、安倍氏はあまり考えずに言葉を使っているように思えてならない。

 総裁選挙の戦いの中で、安倍氏はただ一人、重要な政策課題について具体的な言明を避け、あいまいな物言いを通してきた。しかし、中には今までの日本の政治や外交の根底を覆しかねない仰天発言もあった。たとえば、日中国交回復の際に、当時の周恩来首相が日本の侵略戦争は当時の軍国主義指導者が引き起こしたのであり、一般国民は被害者だと述べて、歴史問題の決着を図ったことについて、安倍氏はそのような論理を受け入れないと公言した。この言明を具体的に敷衍するなら、二つの結論しかない。一つは、国民全体に責任があるのであり、上官の命令といえどもこれに従い、他国民を殺傷した末端の兵士まで罪を犯したという議論である。もう一つは、軍国主義指導者も悪くはないのであって、そもそもあの戦争について中国に謝る必要はないという議論である。安倍氏の日頃の言動から、彼は二番目の立場に立っているはずである。だとすると、彼は日本の戦争を肯定しているのであって、戦争の評価は後世の歴史家に任せるという日頃の発言と矛盾する。

 これはほんの一例である。かつて官房副長官時代に、早稲田大学での講演で、日本も核武装を検討すべきだと発言して物議を醸したこともある。七月の北朝鮮がミサイルを発射した時には、敵基地を攻撃することを検討する必要があると述べて、安倍氏が先制攻撃を容認したものと海外で報道された。どちらの事例でも、安倍氏は後で、報道のされ方は本意と異なると釈明した。しかし、メディアは安倍発言をねつ造したわけではなく、安倍氏の発言の中にそうした見出しを招く内容があったことは事実である。

 安倍氏の考えに対して私自身には異論をたくさんあるが、今はそうした政策内容の議論よりも、そもそも首相としてどのように言葉を使うかという入り口の段階での議論が必要である。安倍氏の発言からは、彼の周囲にいると言われる威勢のよいタカ派評論家が、日頃右派雑誌に書き散らしているアジテーションが透けて見える。無責任な評論家が仲間内で強面の競争をするのはそれほど有害ではないが、国の最高指導者が不用意な発言をし、日本が孤立するとなると、害は国民全体に及ぶ。たとえば、核武装や先制攻撃を日本が真剣に検討すると言い出せば、そのこと自体でアジアの緊張は一気に高まり、アメリカの対日警戒感も強まる。「綸言汗のごとし」という教えを、最高権力者となる安倍氏はかみしめるべきであろう。

 小泉時代の騒々しい政治ドラマに、多くの国民は飽きている。今回の総裁選挙をめぐるメディアの報道姿勢、それを受け取る国民の冷めた反応からも、小泉流劇場政治の再来はもはやあり得ないことが窺える。だとすると、安倍政権の下では指導者が政策を丹念に国民に説明し、野党との論戦を通し、国民の理解を深め、政策選択の誤りなきを期すという本来の民主政治に戻ることこそが必要である。そのためには、安倍氏が今まであいまいにしてきた政策課題についても、闘う政治家の面目を示すためにいささか勇み足の圧源をしたテーマについても、現実を直視し、熟慮を重ねて、自らの政策、信念を具体的に示すことが不可欠である。カタカナ言葉を振りまいて、国民を煙に巻くようなことはやめてもらいたい。

(山陽新聞10月1日)