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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
日本における保守政治の隘路
山口 二郎
 
 
 
 安倍晋三新総裁が最初に推進する政策は、教育基本法改正だそうである。教育政策を論じるに当たって、まず基本法改正から入るというのだから、予算を増やすなど物的な政策よりも、精神論を先行させるということである。こうした精神論にこそ、今の日本の保守政治が直面する危機が反映されているように思える。本稿では、安倍氏が尊敬する岸信介との対比によって、安倍氏に代表される新保守の問題点を考えてみたい。

 精神主義の柱は、ナショナリズムと道徳心であろう。それが、自国中心主義の歴史解釈やある種の性的分業の押し付けにつながって行く。そうした主張の根底には、いろいろな危機感が存在する。外との関係では、人口減少、若年層の意欲や気力の低下などによって日本の国力が衰退して行くことへの危機感がある。内においては、犯罪が多発し、地域社会や家庭など社会の基本単位が崩壊しつつあるという危機感がある。そうした衰退や崩壊をもたらしたのは、戦後レジームが機能不全に陥っているからだというのが安倍氏の状況認識なのだろう。

 世の中は変だ、日本の先行きが心配だという大雑把な危機感には、ほとんどの人は共鳴するであろう。問題は、そうした危機を打開するための処方箋として、教育基本法さらには憲法改正という精神論が適切なものかどうかである。

 社会の大半の問題には具体的な理由が存在する。犯罪件数自体が最近増加しているというのは事実ではない。ただ、高齢者の犯罪は明らかに増加している。そして、その背後にあるのは介護を支援する仕組みが不十分であるという現実である。だとすれば、犯罪を減らすために介護の仕組みを強化することが有効な対策となる。若者の多くがニートになって社会に参画しないという問題の根底には、若年労働力を非正規雇用によって調達し、賃金コストを下げることで空前の利益を上げているという企業の雇用行動の変化がある。だとすると、若者の意欲や気力を引き出すためには、若年労働者を使い捨てにする企業の行動を改めることが効果的な対策となる。そもそも政治とは、国民に説教や美意識を押し付けることではなく、この種の具体的問題を1つ1つ解決する作業である。具体的な問題に取り組む手間ひまを避けようとする者が、安直に精神論を振りかざす。

 そして、戦後日本では保守政治こそ、具体的な問題解決に向き合ってきた伝統を持っていた。1960年のいわゆる安保騒動の後に、岸信介から池田勇人に首相が交代したことは、自民党政治の大きな転換点であった。その池田政治を支えたのは、前尾繁三郎、大平正芳などの保守政治家であった。前尾は、保守主義の特性を、過去との連続性を保ち、できるだけ徐々に、できるだけ不安と混乱を少なくして変化すると規定した。また、大平は、「昔はよい時代であったが、今はそうでないと断定するのは誤りである。いつの時も今日と比べてひどくよかったという時代はなかった」、「いかなる手段にも必ずプラスとマイナスが伴う。絶対的にプラスである手段などというのはない。現在よりプラスの多い、よりマイナスの少ない手段を工夫することが大切である」と述べ、保守政治が持つべき現実感覚の重要性を説いた(二人の発言は、富森叡児『戦後保守党史』、岩波現代文庫による)。

 前尾や大平は当時上り坂だった社会主義勢力への対抗のために、保守政治の理念を彫琢した。しかし、今読むと安倍政治への警告として的を衝いているように思える。そして、その点は、安倍が手本とする岸政治が実は日本の保守政治の中で異質な存在だったことと関連する。岸は、戦前、戦中、統制動員体制のデザイナーであり、満州では実際に国家経営の実験を行った。計画と統制で社会を改造するというのは革新の発想であり、戦後の早い段階ではまじめに社会党右派との提携を考えていた。岸にとって国家改造の目的は、日本がアジアにおける盟主になることであった。敗戦で挫折した後も、岸の発想は持続し、政権獲得後は積年の野望を実現しようとした。しかし、岸は保守主義を踏み外して性急に変革を起こそうとしたがゆえに、国民に拒絶された。すでに定着していた平和と民主主義を覆されることへの不安こそ、岸に反発した世論の根底に存在した。岸政治が国民によって拒絶されたからこそ、その後の日本の繁栄と自民党の長期政権が可能になったことを、安倍氏は直視すべきである。

 時代は異なるが、安倍氏と岸には、ある種の急進主義が共通しているように思える。安倍氏には、戦後レジームへの不満が鬱積するあまり、一気に現状を変革しようという冒険主義を感じる。かつて言及した核武装や敵基地先制攻撃の検討、集団的自衛権の行使などはいずれも戦後レジームの根幹を自ら破壊したいという欲求の現れであろう。それは、戦後においてなお日本帝国の栄光を追い求めた岸の野望と重なる。昔は左翼小児病という左派の心情主義、冒険主義を揶揄する言葉があったが、左派が凋落した今、冒険主義は右派の売り物になった感がある。

 安倍氏は、戦後保守が選んだ経済中心主義路線が、日本国家に大きな欠落を作り出したと言いたいのであろう。彼の言う新保守とはそうした憤懣の表現である。確かに、日本が陥った「資本主義の文化的矛盾」は深刻であり、教育や家族のあり方を考え直す必要もある。しかし、この矛盾を解決する際、問題の原因を具体的に考え、効果的な政策を打ち出すという発想法自体は維持する必要がある。安倍氏が新時代を切り開く政治家になりたいのであれば、滅びつつある左派を相手にシャドーボクシングをするのではなく、ここで私が述べたような保守と対決するのが筋である。その意味で、安倍氏が新保守の中身を肉付けするには、戦後という時代についての認識を確立することが不可欠である。

(週刊東洋経済10月7日号)