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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
安倍政治にどう対決するか
山口 二郎
 
 
 
 われわれ左派の安倍政治への批判は、すっかり空振りに終わった。安倍が「能ある鷹」とは思えないが、ともかく爪を隠したことだけは確かである。もちろん、戦後五十周年の村山談話の継承、中韓両国との関係修復などは正しい路線であり、これについて本心は別だろうなどと難癖をつけても始まらない。安倍首相のブレーンといわれる右派知識人から変節という非難を浴びても政権の滑り出しは穏健路線で行こう、という決断は尊重しなければならない。さらに、安倍政権発足を祝うかのように北朝鮮が核実験を行い、当分の間日本国内で落ち着いた政策論議ができる雰囲気にはならないであろう。10月22日の衆議院補欠選挙では、自民党が完勝し、民主党の中がまたしてもざわつき始めたことも、政治の転換を遠ざける要因となっている。

 安倍首相とブッシュ大統領とにはよく似た構図がある。どちらも本人はそれほど有能とは思えない。親の七光りで権力の座に就いた。九一一以降のテロの脅威や北朝鮮の核の脅威が、政権を支える大きな追い風となっている。さすがにブッシュ政権は、イラク戦争の失敗が明らかになり、今月の中間選挙では国民の強い批判を浴びることになるかもしれない。それにしても、無能で腐敗した為政者であっても、外敵の脅威をあおり、メディアを巧みに操縦することによって二期八年の任期を全うできるというのは、日本にとって不吉な教訓である。安倍を決して侮ってはならない。

 安倍政治と対決する理念は、きわめて単純明快である。外における平和、内における平等、この二つの価値を尊重する者が、立場を超えて協力することによって、日本の政治を転換することができるはずである。人民戦線と言うもよし、国共合作と言うもよし。私自身、この二つの理念を共有できると思える人々とは、鈴木宗男氏から民主党や共産党支持者にいたるまで対話をしてきた。そこでつくづく感じるのは、政治における現実主義、結果志向の必要性である。選択肢は無限にあるわけではない。よりまともなリーダー、よりましな政策を選ぶことが、政治なのである。その現実主義が左派、市民派、護憲派に徹底していないことが、日本政治の転換を妨げている。

 衆議院の補選と同じ日に、滋賀県栗東市の市長選挙が行われた。この選挙ではさる七月の滋賀県知事選挙で問われた新幹線新駅建設が最大の争点となった。嘉田由紀子知事は建設凍結を訴えて当選したが、地元の現職市長は建設推進派で、嘉田県政の改革路線にとっての最大の障害となっていた。知事選直後の市長選挙は、新駅建設事業を食い止める最大のチャンスであった。しかし、反現職陣営が分裂し、建設凍結派の候補と建設中止派の候補が票を食い合って、現職が漁夫の利を得る結果となった。票数から見れば、市民の圧倒的な意思は建設反対であるにもかかわらず、現職が当選したために建設推進が市民の選択だという言い抜けを許すことになった。なんとも情けない話である。

 地元には地元の事情があり、外部の者が一方的な解釈を加えることには反発もあるだろう。しかし、結果から見れば、建設中止を訴えて三位に終わった候補こそ、現職の勝利をもたらした最大の功労者であり、新幹線駅の建設を進める最大の張本人である。政治の世界では結果がすべてであり、当人の意図は別だなどという言い訳は通らない。私は別に共産党を敵視するつもりはないし、むしろ平和と平等のためには共産党の力は不可欠だと思っている。しかし、栗東市長選挙であえて建設中止を主張する候補を支援して、みすみす利権市政に終止符を打つチャンスをつぶした共産党の姿を見ると、この党は日本政治の結果に責任を負う意思があるのかどうか、疑いたくなる。権力者に敵対するつもりの行動が、逆に権力者を応援している結果につながるということは、政治の世界ではしばしば起こる。

 私は、共産党支持の全労連系の労働組合で活動している人々の善意は疑わない。不利な状況の中であえて少数派になることを恐れず、信念を貫こうとするそうした人々の不屈の戦いにはむしろ尊敬さえ覚える。しかし、信念を貫くことと、少しでもましな政治を実現するために他の考えを持つ人々と柔軟に協力することとは、矛盾しないはずである。

 政治を具体的に転換するために多数派を作ろうとするならば、現存の勢力から見て、どうしても民主党が中心とならざるを得ない。私は民主党に甘いと不満を持っている読者もいることだろう。もちろん民主党の悪口を言うのは簡単である。しかし、民主党を改憲勢力と斬って捨てることは、自己実現的予言となる。安倍政治に反対する市民が民主党を敵視すれば、民主党の中にいる平和と平等を担う人々が孤立し、結果として民主党はますます右に行くということである。

 小沢体制の中で、民主党は外においてはアメリカの一極主義的軍事行動を批判し、内においては小泉改革によってもたらされた格差社会を批判するというスタンスを取り、一応平和と平等の担い手としての性格を明らかにしてきた。しかし、北朝鮮核実験のせいで、党内右派の蠢動が始まった。周辺事態法の発動に対して小沢代表は一貫して慎重であるが、前原前代表など対米追随論者は小沢代表を弱腰だと批判している。北朝鮮の脅威に対して自民党と民主党が強硬姿勢を競うのは日本の政党政治の自殺につながる最悪のシナリオだが、それを理解しない愚かな政治家が民主党にいるのも事実である。だからこそ、小沢代表には今しばらく求心力を保ってもらわなければ困る。

 民主党が平和と平等の理念を保持し、非自公勢力が結束を強めて行くためには、選挙での勝利が何よりもの薬となる。これから統一地方選挙までの間、沖縄県、愛知県、福岡市、北九州市など重要な地方選挙が目白押しである。まずは、今月の沖縄県知事選挙で糸数慶子候補の勝利を期して、自公政治に反対するすべての人が協力すべきである。

(週刊金曜日11月3日)