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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
棄民政策と物言わぬ民
山口 二郎
 
 
 
 沖縄県知事選挙は、自公の勝利に終わった。野党の協力が実現し、勝利できる体制を作ったはずだが、結果はついてこなかった。平和や戦後民主主義の危機を訴えるだけでは沖縄県民は反応しなかった。八年前の知事選挙では、「県政不況」というスローガンを叫んだ保守の側が、大田昌秀氏を倒した。その後の八年間、稲嶺県政のもとで決して不況が好況に転じたわけではない。にもかかわらず、県民は保守県政の継続を選んだ。

 十月後半、高市早苗沖縄担当大臣が沖縄北部地域振興策については基地移転の進捗状況に応じて予算をつけると発言したり、久間章生防衛庁長官が沖縄県民はパトリオットミサイル配備に感謝すべきだと発言したりで、安倍政権の沖縄に対する蔑視の姿勢が明らかになった。一連の失言は、野党側への追い風となるかと思われた。しかし、本土の我々が考えるほどには沖縄県民は怒らなかった。沖縄県民の絶望はあまりにも深く、知事を変えたくらいで基地問題や雇用情勢が好転するとは思えないというのが、県民の選択の動機だったのであろう。

 そこに見えるのは、国内植民地主義ともいうべき支配構造である。生身の人間やそれが生きている地域の幸福はもはや政策の目的ではなくなった。沖縄の基地問題を見れば明らかなように、人や地域のための国策から、国策のための人や地域へと関係が逆転している。過酷な現実が長期間続けば、国策のために犠牲にされている側もそれを覆そうという意欲や気力を失っていく。こうして生まれるのが国内植民地主義である。

 話は沖縄だけで終わらない。北海道でも夕張市の財政再建団体指定をめぐって、棄民といじめの構造が始まった。確かに夕張は無理なリゾート開発がたたって財政赤字を溜め込んだ。しかし、リゾート開発には国のさまざまな補助制度があり、国も開発の片棒を担いだことは事実である。さらに、炭鉱に付属していた病院や住宅を夕張市が引き受け、財政負担の一因となった。夕張市民だけが責任を負ういわれはない。

 財政再建のために夕張市では小学校、中学校をそれぞれ一つに集約し、図書館や養護老人ホームは廃止、市立病院の新規入院も停止など過酷なサービス縮小が決定された。これにより二十年かけて債務を償還する計画である。働き盛りの世代が減少する中で、二十年かけても借金を返せるはずはない。行政サービスの縮小は、出て行けるものなら出て行けというサインである。出て行きようのない弱者だけが吹きだまった町で、最低限の行政サービスをあてがうとどうなるかという実験をこれから夕張で始めようとしているのだろう。しかし、人間の尊厳を奪われた側が尊厳を奪う側に対して、怒りも抵抗も示そうとしない。

 教育基本法改正も土俵際まで追いつめられ、暗い気分になるが、ふと、中野重治が魯迅について語った文章に再会した。中野は、魯迅の小説「故郷」の最後にある「(希望とは)地上の道のようなものである」という文章に関して、「希望というにはあまり深い暗さと、暗さそのものによって必然の力で羽ばたいてくる実践的希望との生きた交錯、交替」と述べた(中野、「ある側面」)。どんな状況でも、実践的希望を追い続けたい。

(週刊金曜日12月1日号)