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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
財界よ、驕るなかれ
山口 二郎
 
 
 
 今ほど大企業の政治的影響力が高まっている時はないだろう。昨年末の税制改正の答申では個人に対する定率減税の廃止とは対照的に、法人に対しては減税が打ち出された。通常国会にはホワイトカラー・エグゼンプション制度が提出されることになった。当初はこの制度によって残業手当をもらえなくなるホワイトカラーは少数との試算もある。しかし、派遣労働に関する規制緩和の歴史が示すとおり、この種の規制緩和はどんどん拡大するに違いない。いざなぎ景気以来の長期拡大の成果も、労働者や家計には十分分配されていない。そのことに対する評価は様々であろうが、この現実自体を否定する人はいないであろう。

 そんな折、日本経団連が御手洗ビジョンを発表した。これは、愛国心の強調や憲法改正など重大な論点を含む政治に対する積極的な提言である。正月の新聞でこの提言を読んだとき、私は経済界の役割について錯覚していたことを思い知らされた。

 日本のような多元的民主主義の国では、様々な職能団体が集票力や政治献金をテコに、政治に対して発言している。そうした活動は、しばしばエゴイズムという批判も受けるが、各種の団体が自分たちの利益を追求して政治に関わることが、民主政治のエネルギーを供給したことも事実である。市場と同様に、民主政治の政策形成過程にも「神の見えざる手」が働き、各種団体のエゴイズムの発露が全体として均衡の取れた資源配分をもたらすという楽観論を唱える政治学説もあった。経済団体が、農協、労働組合などと同列に、自らの利益を追求するのは当然の権利であり、別に文句をつける筋合いの話ではない。

 ただ、私は経団連など経済界の頂上団体は、その種の個別的職能団体よりも一段上の広い視野や高い見識を持っているのだろうと思っていた。実際昔は、永野重雄や小林中などの国士型財界人がいたものだ。広い視野という時、私は頂上団体に「合成の誤謬」を是正するための発言や行動を期待していた。合成の誤謬とは言うまでもなく、個人や個々の会社が近視眼的に合理的な行動を取り、それが社会全体で総計されると、かえって社会に大きな害が生じるという現象である。個々の工場が生産効率を求めるあまり有害廃棄物を垂れ流せば、環境破壊が起こるといった話である。

 今の日本を覆う暗雲は、合成の誤謬に由来している。個々の企業は労働コストを削減するために非正規雇用を増やし、サービス残業を強いている。その結果、低賃金労働を余儀なくされる若年世代はとても家族を持つ余裕などなく、少子化は一層加速する。その悪循環は分っていても、厳しい競争にさらされている個々の企業は、雇用の仕組みを自分だけかえるインセンティブを持たない。一社だけで社員を大事にしても、他社が変わらなければ競争に負けるだけである。こういう問題こそ、頂上団体が取り組むべきである。個々の会社の利害を超えて、日本社会の持続的発展を図るために経営者が何をなすべきか理念と方法を示すのが、経済団体の役割ではないか。

 私は終身雇用と年功序列賃金に戻れなどと時代錯誤的な主張をしたいのではない。社会保障における合成の誤謬を是正するために、企業にも責任を果たしてもらいたいと言いたいのである。日本的な企業社会を前提とした社会保障システムから、企業は離脱し、社会保険における使用者負担を避けるために非正規雇用を増やしている。ただでさえ賃金の低い非正規雇用労働者は国民年金や国民健康保険の保険料を払う余裕はなく、結果としてそれらの社会保険の財政基盤はますます脆弱化し、国民の将来不安は一層高まって行く。こうした悪循環を断ち切るには、社会全体の仕組みを作るしかない。たとえば、雇用形態に関係なく使用者が支払った賃金に比例して社会保障税を徴収するといった仕組みを日本でも導入する必要があると私は考えている。具体策はともかく、大所高所の理念論が財界からは聞こえてこない。

 ただもうけを増やすためだけに税金を負けろ、規制緩和をしろと言うだけでは、財界は他の職能団体と同じである。財界が改革推進派で、農協や医師会が抵抗勢力だなどというのはとんでもない錯覚である。農協の言う日豪経済連携協定反対も、経済界が言う規制緩和も、等しく自分たちのエゴイズムを主張しているだけである。一方は偉く、他方は卑しいという話ではない。だから、経済界はもっと謙虚になるべきである。

 御手洗ビジョンの中で国民に愛国心を持てなどと説教をするにいたっては、笑止千万である。そもそもナショナリズムとは、同じ日本人という国民の同質性を強調するものである。経済界のトップが愛国心を持てと他人に説教するならば、貧乏人も過疎地の人もみな人間らしく暮らせるような政策を維持するために、企業自身が率先して税金を払うべきではないか。税負担が上がれば企業は外国に逃げ出すなどと国民を脅迫する経営者に、愛国心を持てなどと説教されるいわれはない。本誌1月13日号の雇用破壊特集で、経営者の奥谷禮子氏は「過労死は自己管理の問題だ」と言い放った。ならば、意味不明の公共心なるものを振りかざし、個人の自己主張を抑えようとする新教育基本法は間違いということになる。会社の都合よりも自分の都合を優先させ、法で保障された有給休暇はきちんと取れるような強い個人を育成するよう、経団連挙げて運動してもらいたい。

 グローバル資本主義の中で利益を追求しながら、ナショナリズムを煽る。組織においてパターナリズムの上下関係を温存しながら、個々の労働者に自己責任と競争原理を押し付ける。今の経済界の主張は、論理一貫性を欠いた「いいとこ取り」である。企業の社会的責任が問われている今こそ、経団連はじめ経済団体には、特定の業界の枠を超えた大所高所の理念を持ち、バランスのとれた政策提言をしてもらいたい。

(週刊東洋経済1月19日号)