いよいよ通常国会が始まった。安倍政権発足後の最初の通常国会であり、安倍政治の本質について十分な議論の場となるべき国会である。また、今年は統一地方選挙、参議院選挙が予定されており、政治の年の幕開けにふさわしい論戦を期待したいところである。
一月下旬に発表された報道各社の世論調査では、安倍政権の支持率がさらに低下し、国民は政治の現状に大きな不満をいただいていることが明らかとなった。考えてみれば、それも当然である。昨年秋の臨時国会では、安倍政権は教育基本法改正や防衛省昇格など、自民党にとっての長年の懸案を処理した。しかし、これはあくまで自民党の、それも一部のイデオロギー的な政治家が執心してきた懸案であって、これらの法律が通ったからといって、国民にとっての教育問題や安全保障問題が解決されるわけではない。言ってみれば、政治家にとっての自己満足の立法である。
国民生活に直結する政策について見れば、昨年末の税制改正では個人に対する定率減税の廃止が決定されたのとは対照的に、企業に対しては投資減税が決定された。また、この通常国会への提案は見送りになったものの、ホワイトカラーエグゼンプションを中心とする労働法の規制緩和も推進されている。いわゆるアベノミクスは、企業や富裕層を優遇することで経済成長を促し、その果実を財政赤字削減や一般庶民へ波及させることを目指している。しかし、いざなぎ景気を超えると言われる景気拡大の継続の中で、勝ち組以外の所には経済成長の恩恵が及ばないことを普通の人々は実感している。
経済政策の基調は、小泉政権も同じであった。しかし、小泉首相は自民党や官僚組織を相手に、既得権を剥奪すべく果敢に闘ったというイメージを振りまいていた。世の中がもっと公正、公平になるのならば、経済的な結果の平等はあきらめようというのが一般国民の受け止め方だった。その点で、安倍政権はかなり後退した印象がある。郵政造反組の復党を安易に許し、道路特定財源の見直しでは族議員の聖域に手を入れることはできなかった。経済格差が拡大する一方、力の強いものの利益が温存されるというのでは、国民もたまったものではない。安倍政権の人気急落には、そのような深い理由があるように思える。
野党にとっては、絶好のチャンスが到来したはずである。しかし、最大野党、民主党も様々な不祥事を抱え、国民の期待感はきわめて低い。小沢一郎代表が出るテレビCMの出来が悪いといった些末な理由ではなく、より深い原因を自ら直視してもらいたい。要するに、民主党が政権を取ったらどのような日本を作りたいのか、そのメッセージが伝わってこないのである。政治とは生活だという小沢代表のスローガンに私は賛成である。しかし、そこからさらに踏み込んで、地域格差、雇用、年金などについてどのような具体策を取るのかが、はっきりと見えてこない。
戦後の長い間、国民は孜々として働き、企業がそれに応えて賃上げをして、全体として国民は豊かになってきた。「生産性を上げる→企業収益が上がる→賃上げで労働者に還元される→年金や公務員給与引き上げで社会全体に波及する」というサイクルが健全であった時代には、政治の出番は少なかった。今の日本経済は、企業収益の上昇の所でこのサイクルが途切れている。だからこそ、経済成長の成果を国民全体で分かち合うためには、税制、社会保障制度、労働法制などの工夫が必要であり、そこに政治の出番がある。
安倍政権が日本経団連など経済界と蜜月の関係にある以上、野党が取るべき足場は中小企業、地方、年金生活者ではないか。二大政党に向けてこれほどわかりやすい状況はない。もちろん、経済界を敵に回せとは言わないが、アメリカ流の「勝者皆取り」の経済を目指すべきかどうか、本質的な論争が必要とされている。まさに政党の政策能力が問われているのである。
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