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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
安倍政治は何を目指すのか
山口 二郎
 
 
 
 大学は目下、期末試験の季節である。私は放送大学の客員教授も務めており、「現代日本の政治」という科目を担当してきた。今学期の試験には、「小泉政治の五年間で自民党はどう変わったかを論じよ」という問題を出した。放送大学の学生の大半は、知的関心を持つ一般市民であり、この試験答案では、その人々に政治の現状認識を言語化してもらう機会となり、ある種の世論調査を行ったような興味深い結果が得られた。人々は小泉政治のどこを評価し、どこに疑問を感じているかが分る。また、その裏返しとして、安倍政権の不人気の理由も見えてくる。

 小泉政治に対する肯定と否定の比率はおよそ六対四で、小泉政権が高い支持を持続したことはこの点にも現れている。小泉政治を高く評価する最大の理由としては、政治に対する関心を高めてくれたことをあげる声が大きかった。そして、派閥政治の弊害や官僚支配を打破したことを小泉政治の成果とする意見が目立っていた。また、歯切れの短い言葉によって小泉政権の課題や方向性を語ったことが、政治を分りやすくしたという声もかなり多かった。政策面での達成を評価する声は極めて少なく、むしろ小泉政治に好意的な人々にも最近の格差や地方の衰弱を憂慮する声が大きかった。

 結局小泉政治の人気の原因は、政治の停滞や閉塞をもたらしていた派閥、族議員、官僚と果敢に戦ったこと、首相自身が自らの目標について直接、明快に語ったことの二点に集約できる。昔、福沢諭吉は日本の権力について「多頭一身の怪物」と述べたことがある。明治以来、政府がまとまりを欠くことは日本政治の持病であった。その点で、小泉はヤマタノオロチに勇敢に立ち向かうヒーローとして人気を博したわけである。

 これに対して、安倍政権は小泉が支持された理由とは反対の方向に進んでいるようである。ちなみに、答案の中では安倍首相に言及したものも多かったが、安倍という名字を正確に書けた人より間違った人のほうが多いのは、驚きであった。それだけ認知度が低いということであろうか。まず、物理的にも、内容的にも、安倍の発する言葉は不明瞭である。この人が何をしたいのか、国民には分からない。さらに、安倍政権のもとで、政府与党は再びヤマタノオロチになりつつある。首相補佐官と各省大臣の反目、審議会同士の食い違いなど、官邸主導と称してスタッフやアドバイザーを増やせば増やすほど、政府内部で遠心力が高まり、政権の方向性は見えなくなる。そのことは、安倍首相自身が何をしたいか、自分でもよく分っていないことと密接に関連している。

安倍政権の追求するアジェンダは、大きく言って三つに大別される。第一は、憲法改正や教育を中心とする伝統的ナショナリズムの政策。第二は、上げ潮戦略や企業重視の労働規制緩和、減税など、小泉政権から引き継がれた市場経済活性化の政策。第三は、市場競争の激化や政府機能の縮小がもたらした弊害を是正する政策。

 これらの三つは決して共存できない。むしろ労働ビッグバンと格差是正のように、矛盾をはらんでいる。また、憲法や教育の見直しも、やりようによっては経済的合理主義と矛盾する。前回の本欄で述べたことの繰り返しになるが、経済界が目指す労働の世界は、個人主義とドライな契約関係を基調としている。しかし、安倍が理想とする日本社会は、男女の性的分業が押し付けられ、家父長的な権威と集団主義を秩序の基調とするものである。教育改革をめぐって、教育再生会議、中央教育審議会、規制改革会議などの議論が錯綜しているのも、このような基本的な理念の矛盾がきちんと整理されていないことに由来する。最大の問題は、安倍首相自身がどのような理念にもとづいて改革を推進するかという見極めをつけられていない点である。

 小泉の政治は、好き嫌いはともかく、それなりに筋書の練られたドラマであった。各種の政策は、「官から民へ」という一見分かりやすい風呂敷にくるまれた。そして、主役が何をしたいのかは見る者にはっきり伝わってきたし、見せ場の演出も巧みであった。これに対して、安倍の政治は出来の悪いバラエティショーである。いろいろなゲストが登場し、それぞれ言いたいことをしゃべり、面白い瞬間もある。しかし、全体として何がテーマなのかは分からない。

 最近の政治を見ると、つくづく権力欲というものが政治にとって不可欠だと思い知らされる。もちろん、安倍も権力欲があったからこそ首相の座を獲得したには違いない。しかし、その権力欲も、父の無念を晴らすという程度のいささか矮小なものである。戦後体制からの脱却や憲法改正にしても、政治家としての実存に根ざすというより、権力を取ることを理由づけるために後から取って付けたものにしか見えない。本当の権力欲とは、政治家としての理念を実現するために、「固い岩盤に穴を穿つ」(マックス・ウェーバー)作業の原動力となるものである。

 統一地方選挙や参議院選挙を控えて多忙な時期ではあるが、指導者にはじっくり自省(英語で言えばソウル・サーチング)する時間も必要である。最高指導者の自分探しにつきあわされるのは国民にとっていい迷惑ではあるが、このまま方向舵が壊れた船に乗り続けるよりはましである。

 小泉政治の継承と修正という本来矛盾する課題を背負って出発しただけに、安倍政権の悩みは深い。しかし、どちらも大事というのでは、現在の政策課題に対する答えにはならない。再チャレンジを可能にする環境を整備することは、民ではなく、政府の仕事である。精神論ではなく、金が必要である。具体的な政策を実現するためには、必ず今得をしている人に何らかの損失を強いることになる。小さくても、そのような具体的な決断ができれば、この政権も求心力を取り戻せるだろうと思う。

(週刊東洋経済3月2日号)