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SYMPOSIUM ● BY ACADEMIA JURIS

グローバル時代における国家戦略のあり方--アメリカ・日本・北海道--

講 師: 寺島実郎●三井物産戦略研究所長
日 時: 2002年7月6日(土)15:00〜18:00
場 所: スラブ研究センター大会議室
司 会: 山口二郎●高等研究センター長
 
 
○司会 そろそろ始めさせていただきたいと思います。始まる前に一言、本日の研究会の趣旨について述べさせていただきたいと思います。私が代表しております高等法政教育研究センターの方で、本年度から「グローバリゼーション時代におけるガバナンスの変容に関する比較研究」という大きな合同研究が始まりまして、その一環で寺島先生をお迎えして、一度レクチャーをしていただこうというふうに考えておりまして、それでちょうど本年度、地方自治土曜講座の方でも寺島先生の話を聞きたいという声が大変強かったものですから、今日はジョイントの講演会ということで企画いたしました。

 まず寺島先生から発題をいただきまして、あと残りの時間を討論ということで、進行の方よろしく御協力ください。それでは、お願いします。

○寺島氏 山口先生には、非常にお世話になっていまして、今回こういう機会を得て話をさせていただくことにします。

 グローバル化時代のガバナンスということを最も視界に入れた話を集中的にしてまいりたいと思います。グローバリゼーションというキーワードについての踏み込みなのですけれども、ちょうど我々のビジネスの現場に関すれば、ここへ来て実は衝撃的な事態というのが続いていまして、つまり、グローバル化時代のコーポレートガバナンスというやつを支えていた、アメリカ流の90年代型コーポレートガバナンスの仕組みなるものに対する不信が噴出してくるような事態が続いていまして、それがエンロンの崩壊からワールドコム、あるいはゼロックスなどの一連の不祥事みたいなものとしてにじみ出てきているということのメッセージは何なのか。これは、いわゆるグローバル化時代のコーポレートガバナンスの動揺と言っていいと思います。現実にグローバリゼーションなるものがあわせ持っているものは何だろうかと考えると、つまりアメリカの発信しているグローバル化というものの本質を別な角度から導入すると、グローバルなマネーゲーム化という感があるのですね。途方もないマネーゲーム化といいますか。その不安が現実のものとなってきた感じがするのですけれども、アメリカという国は過去10年間で2兆ドルの累積経常収支の赤字、それに5%の金利がかかるとしたら、年間1,000億ドルの金利負担だけでも信じられないような重みを抱えて走っていかなければいけないはずなのですけれども、それを補って余りある資金がアメリカにどんどん流入している構図が続いてきていたのですね。経常収支赤字の3分の2が欧州からの資金ルートと言われている。ところがいろいろな理由があります。ユーロの立ち上がりだとか、あるいは今申し上げたアメリカ流のガバナンスに対する不信みたいものが背景にあって、この第1クオーターで、昨年の第4クオーターに比べてアメリカに流れ込む資金が半減したのですね。これが今のドル安だとか株安の大きな背景になっています。ところが株価が下がるということがアメリカ産業に持つ意味というのは、10年前とは大違いなのですね。つまり株本位制ということが成り立つぐらい、経済における金融セクターの持つ比重というのがアメリカの産業にとってものすごく重くなってしまった。ここの部分を語り出すときりがないのですけれども、何が言いたいかというと、僕が常に言い続けてきていることは、アメリカという国は過去10年間で産業の基本性格を変えた。10年前は軍需産業を基軸にした産業構造の国だった。20兆ドルの軍事予算を累積で積み上げた。実質が巨大軍需産業、シンボルが宇宙航空産業だった。ところがクリントン政権は3分の1軍事予算をカットした。軍需産業のリストラが始まった。合従連衡の嵐になったと。ロッキードとマーティン・マリエッタが合併してロッキード・マーティンになり、グラマンはノースロップに吸収され、つい3日ほど前にもTRWがノースロップに吸収され、マクドネル・ダグラスはボーイングに吸収合併された。物すごい勢いで合従連衡が走って、虎の子産業であった軍需産業が再編統合の嵐の中に入った。それまでアメリカの理工科系の大学の卒業生の8割が冷戦期に軍需産業に雇用吸収されていたと言われていますけれども、それらの人たちが軍需産業に行き場を失って、俄然そういう人たちが入っていったのが、わかりやすく言うと金融です。しかも直接金融と。直接金融というのは何だというと、例えば401kに代表されるような、年金さえ株式市場が運営するというものですね。ヘッジファンド、デリバティブなんて、今はもう日本でも珍しくなくなってしまって、東大でさえ金融工学なんていう講座が工学部にある。東京工業大学に至っては、金融工学部という学部をつくるというぐらいですから、何をかいわんやというぐらい当たり前の話になるほどなんですね。ITとFTの結婚という言い方を耳にしますけれども、インフォメーションテクノロジーとファイナンシャルテクノロジーがドッキングして、物すごい勢いでデリバティブ型の金融ビジネス運用という、つまり理工科系の情報力といいますか、エキスパティーズで武装した金融みたいなそんな感じで、金融の性格が変わるとどう変わるか。いわゆる資金仲介業からリスク仲介業へ新しいビジネスモデルができる。資金仲介業というのは産業金融なのですが、つい10年前までは金融の主軸というのは産業金融だったのですね。企業にせんべつ的にお金を貸して、企業が育って、金利をとって金融が回る。だけど今はそんなことでは収益性が出せないということで、物すごい勢いで新しい金融派生型商品のビジネスモデルが出来てきた。これがデリバティブですね。要するにエンジニアリング主軸です。それによって物すごい勢いで金融という世界の付加価値が肥大化し始めた。それがだんだんだんだん高じてきて、今アメリカの個人金融資産の5割は株式市場に入ってきていますけれども、日本ではまだ1割ですけれども、極端な事態、例えば1日に世界で取引先されている世界貿易180億ドル、1日に取引される為替の額の100倍という構図になってきている。要するに次第次第にアメリカという国は途方もないマネーゲームの国になった。分かりやすく言うと、ですよ。ジャーナリスティックに言うと。そういう構図の変化がアメリカの産業構造のみならず、世界の産業を大きく変え始めた。我々自身の経済観、産業観というものもグローバリゼーションという名前のもとに大きく変わり始めている。つまり、それは何かというと、要するに10年前我々が経済の議論をする視点というのは、実体経済に軸足を置いた議論だったのですね。設備投資がどうなったとか、いわゆる鉱工業生産がどうなったか、消費動向だとか、住宅着工は、だとか。ところが今はいつの間にか、例えば3点セットではないけれども、株価と為替の話だけをしているような経済観に変質してきてしまっている。それがこの10年間のグローバリゼーションという名のもとに進行した一つのシンボリックな変化なのですね。

そういう中で、エンロン問題というのは何を象徴しているか、ということですね。エンロンという会社は、1985年にテキサスのパイプラインの会社が合併してできて、17年しか存在しなかった。わずかその間にフォーチュン500社の第7位に登場してくるわけで、急成長した。どうやってかというと、それはかつてエンロンは固定資産を持って発電所を持ち、送電線を持ちという会社だったのですが、全部そんなのを売却して、一切固定資産を持たなかった。要するに流動性の高いビジネスモデルで、行き着いた先が電力デリバティブ、要するに電力さえ市場化の対象にするというのは誰でもわかりますけれども、投機の対象にする。そして、そのリスクの肥大化によって破綻していく。それだけでなくて、アメリカ流のガバナンスを支えていたはずの監査法人、例えばアンダーセンという監査法人が経営と一体になって不正経理に関与した。投資組合が株価を操作して、株価を引き上げることによって経営を改善させる。破綻高を貸して。自分の投資組合に貸している株を売らないでくれと要請しておきながら、経営者がみずから自分の株を売り抜いていたというような、語るに落ちるような話も残っていますね。一体アメリカ流のコーポレートガバナンスとは何なのかということになり始めて、それに追い打ちをかけるようにワールドコムまで、ゼロックスまで、ということで、はてなという気持ちが非常に雪だるまの広がりみたいに大きくなってきて、非常に大きなアメリカに対する不信といいますか、それでドル安、株安、アメリカの資金流入が思うにまかせなくなってきているのが、これがいつまで続くかどうかは相対的な問題ですから、やっぱりアメリカの方が相対的にましだよという流れに帰着していくかもしれない。今はそういう局面なのですね、わかりやすく言うと。

アメリカ流の資本主義というのは明快でして、株主資本主義です。要するに、株主にとっていい経営がいい経営だという考え方で、株価が高くて、配当が多くて、透明性の高い経営と、こういう三大話になっていたわけです。株主だけが最も尊重されるべきステイクホルダーだろうかという考え方に、もう1回揺り戻しみたいのがあった。

 欧州においては、ユーロ社民主義の影響があるものですから、どちらかというと従業員に対する付加価値の配分に軸足を置いている。日本はどうするのだということで、日本は株主経営陣の経営というものを続けてきたことへの反動もあって、アメリカ流のコーポレートガバナンスを追いかけるということで、走ってきたのが90年代だったと思うのですね、今日にかけて。これが要するにグローバリゼーションという名のもとに進行したことっていう意味で、要するに悪知恵の資本主義という言い方もあるのですけれども、頭でっかちな、アメリカというのは毎年MBAという人が3万人卒業すると言われているわけですけれども、MBAと100万人と言われている弁護士と、金融工学でPh.Dをとったという一流の人たちが、頭の中で構想した新しい金融ビジネスモデルをエンジニアリングすることによって、付加価値を生み出して飯を食うしくみみたいなものなんですね。それが世界の経済潮流みたいなものを変えたというような、そういうような我々が何かと言えば「不良債権問題は?」とアメリカが投げつけてくることにすごく、私は87年から97年の10年間アメリカで仕事してきたわけですけれども、94〜95年ごろからちょっと流れが変わってきて、話題に金融という話題だけがやたらに浮上してくるなという印象を持ち始めました。それはなぜかというと、産業の軸足が変わった。要するに金融に軸足を置いた産業構造の国にどんどん変質していく中で、金融不安だけが起こってもらっては困るというのです。全員がウォールストリートだけは何とか持ちこたえてもらいたい。株の資産投下によって経済が回るという仕組みが常態化するにつれて、そういう動きが働いてくるのですね。したがって、私が言いたいのは、冷戦後のグローバル資本主義の基本性格というものの中に、極端なマネーゲーム化という潮流があるということについて気がつかなければいけないというのを、一つ問題として提起しておきたいですね。

 もう一つ、我々の世界認識のもう一つのキーワードがIT革命だったわけですけれども、IT革命によって加速されるグローバリゼーションみたいなイメージというのが、我々のここ10年ぐらいを振り返っての、世界潮流認識の二つのキーワードだったわけですね、ITとグローバル化というのが。ところがこのIT革命も、話し出せばきりがないのですけれども、かなり深い構造認識がいる。僕は10年ぐらいたって、技術に明るい歴史家みたいな人が登場してきたらIT革命をどう総括するだろうか、多分こう言うと思いますね。IT革命というのは、冷戦後のアメリカが主導した軍事技術のパラダイム転換だったということに愕然と気づくだろうと思います。という意味は、今我々が直面しているIT革命を説明するキーワードは、言うまでもなくネットワーク情報技術革命です。そのシンボルみたいなものがインターネットです。インターネットとは何かということですね。これは、この間僕はランド・コーポレーションに行ってきたのですけれども、1962年にランド・コーポレーションがペンタゴンの要請を受けてエンジニアリングした、コンセプトエンジニアリングしたのが、このいわゆる今日のインターネットの原型になっているアーパネットという仕組みですね。これはもう言うまでもないことですけれども、中央制御の大型コンピュータで防衛システムを管理していたならば、冷戦期ですから、ソ連からそこに核攻撃を受けたら、すべての防衛システムがブラックアウトするということで、分散系、開放系のネットワーク技術、いわゆるパケット交換方式ネットワーク技術というものの構想というものに着眼したのは、まさにそういう背景があったからなんですね。冷戦期の産物なのです。それが80年代末から90年代にかけて冷戦の終焉ということを受けて、民生転換、いわゆるディフェンスコンバージョンという流れが起こってきて、そのシンボルみたいな話がインターネットの登場なのですね。厳密な意味でアーパネットが商業ネットワークとリンクしたのが93年ですから、もうまだ10年たっていないですね。わずか10年の間にまたたく間に我々の周りをとりまく情報のインフラとなってグローバリゼーションを支えていると言われているわけですね、インターネットというのが。中国へ行ったって、北京大学でも人民大学でも清華大学でも、インターネットが常態化しているといっていいような世界ができたわけですね。そこで、わかりやすく切り裂いていきますと、インターネットとは何かということを考えたときに、昨年の9月9日ですけれども、例の9月11日の事件が起こる2日前、EUの議会が変な決議をしたと。御承知の、エシュロンは違法だという決議なのですね。エシュロンシステムとは何かというと、インターネットをシンボリックに語っている。エシュロンというのは、NSA、ナショナル・セキュリティー・エージェンシー、ペンタゴンの下部機関が世界の情報通信をモニタリングしているのですね。モニタリングという名前において盗聴していると言っていいと思うのですけれども。日本の三沢基地もその一翼を担っていると。冷戦期はソ連の情報通信のモニタリングをするということが主目的だったのですけれども、ここのところへ来て、その目的が経済諜報という世界に変質し始めているから、欧州は非常にささくれ立って、殺気立ってきて、アメリカのエシュロンシステムは違法だというようなことを決議する事態に至ったと。フランスが中心なのですけれども。それで、その背景にある構図というのは何なのかということですね。要するに、例えば今札幌からインターネット経由で中国の北京にEメールを出すと。このEメールはどういう経路で北京にたどり着くと思いますか、という素朴な疑問に答えられる人はまずいません。僕も情報通信審議会の委員をやっていますが、その専門家という人と議論しても、要するにパケット交換方式ネットワーク技術というものは、先ほど申し上げたように、核攻撃で一つの回路が遮断されても、多様な回路から目的地に到達できるというところに技術特性があるということに、みんな感心していたのが、ところがボトムラインってやつなんです。このシステムも、その必要が生じたならば、最も有利に制御できるポジションを確保しているのはどこだといったら、言うまでもなくアメリカだというしくみが存在しているということなのですね。何も被害妄想みたいな話ではないです。アメリカからすれば、自分の国で軍事予算で開発したシステムを世界にただで開放して、水や空気みたいに定着させて、その必要が生じたときに一番自分が有利な情報の管制高地をとれるというポジションを確保しようとするのは当たり前の話だというのが、アメリカ側から見れば、図式としては当たり前のことになるわけです。

 今僕の言っている話が何なのかというと、IT革命という名前のもとに我々が一体どういう情報環境の中に身を置きつつあるのかということは、感受性の問題なのですね。というのは、例えば一番わかりやすい例として僕が申し上げておきたいのは、カーナビなのですね。カーナビゲーションです。カーナビは、日本ではアメリカの10倍普及しています。欧州でも日本よりもカーナビが普及している国なんてのはないですね。日本人は大好きなんですね、ああいうシステムが。だけれども、冷静に考えてみれば、だんだん図柄が見えてきますけれども、カーナビというのはGPSなんですね。GPSというのは、アメリカの軍事衛星が地球を24個取り巻いているわけですけれども、その衛星につないで自分の位置を測定させてもらっているのですね、しかもただで。ただというのは変な仕組みだなというのが、もう一世代前の人ならぴんと来たのですけれども、今は、ただで便利ならなお結構じゃないかということでたっぷり普及しています。そこで、おととしアメリカはそろそろ日本では普及したから金を取ろうかと言い出したけれども、延期したわけですね。もうしばらく様子を見ようと。なぜただにしてくれているか、対抗衛星を打ち上げさせないために、というのが最大のねらいですね。この間中国に行ったら、中国もGPSの衛星を自前で打ち上げるということで、欧州はガリレオというの名前のGPSを打ち上げることを決めましたね。今、日本ではそういう問題意識が一切ない。この話は何がポイントかというと、ボトムラインは何かというと、GPSの金を払えというのなら払ったらいいじゃないか、ということで話を終えるのなら、ばか話になる。この話のボトムラインは、カーナビは逆探知できるのか、ということなのですね。だれがどこを動き回っているのかということが掌握できるのかということ。そんなことは簡単にできるのですね。言うまでもないことですけれども、KDDIが今度発表したGPS携帯電話なんていうのは、徘徊老人に持たせて、徘徊老人がどこを徘徊しているのかということを逆探知するサービスを開始しているわけで、被害妄想みたいな話ではないのです。ですからVIPと言われるような人がカーナビを積んだ車の後ろでふんぞり返って走り回って、だれがどこを動き回っているのかということが瞬時に掌握できる仕組みの中に身を置いているということは、何を意味しているかということぐらいわからなくなってしまったら、もうセキュリティーも何もありませんよ、という世界なんです。つまり私が言いたいのは、つまり情報の管制高地を高くとるという言い方が我々の世界にはあるのですけれども、コマンディングハイツを高くとる。要するにIT革命という名前のもとに進行していることは、アメリカが発信しているIT革命戦略には二つキーワードがあって、要は一つは「ディファクト化」というキーワードですね。自分たちが作り上げたシステム、ソフトウェア、OSを実質的世界基準として囲い込むという考え方。それと、「ブラックボックス化」といって、一たん囲い込んだら外に出させないというやつですね。

 一方、そういう状況に対して、鋭い問題意識を持って、「オープン化」というキーワードで立ち向かっていく人たちも出てきているわけですが、話は単純ではないのです。つまり、例えばLinuxなんて話は皆さん御存知でしょうし、要するにサンマイクロがマイクロソフトのOSの独占に対して挑戦していこうとしているような流れももちろんそうだし、話は単純に一筋縄ではないというのが分かった上で言っているのですけれども、要するにディファクト化、ブラックボックス化という流れの中のせめぎ合いなのですね。そういう中で、IT革命という名前のもとに浸透していくことを、ぼんやりとしたグローバリゼーションのニーズとしては、人類の第3の産業革命だ、みたいなたぐいの文脈で、普遍的な潮流として議論しがちですけれども、一歩踏み込むと、アメリカの国家戦略と利害がぎらっと輝いている部分でもあるのですね。従いまして、今僕の言っている話を単純化して総括すると、グローバル化という名前のもとに、よく単純な人はグローバル化というのはアメリカナイゼーションではないかというような話をしていますけれども、私が言いたいのは、要するにIT×グローバル化というのは、新資本主義という世界のあり方みたいな構図の認識が一般化していますけれども、一歩踏み込むと、今申し上げたようなナショナルインタレストのせめぎ合いみたいな部分があるのですね。このあたりに、やっぱり我々が注意しておかなければいけない部分があるということを申し上げておきたい。

 そういう問題意識の中から、日本の今後ということを考えたときに、私は、とにかくアメリカを発信源とする新しいマネーゲーム化の潮流の中に飲み込まれかけているのが今の日本の構図だと思うのですね。何かというと「銀行の不良債権問題は?」という形でけりが入ってくるのも、ある種アメリカの金融不安に対する怯えみたいなものを反映していると言ってもいいわけで、そういう中で、自ずとこの国の産業構造のあり方みたいなものについて、一つの見識が問われているというか、我々は過剰にマネーゲームの潮流に合わせていっていいのかと。それがきれい事ではない、本音の部分での問題意識として存在していると。

 では、地域にとってそういったグローバリゼーションの持つ、今僕はあえて問題を抽出するために陰の部分というような話をしていったのですけれども、そういうものをどういうふうに視界に入れて進んでいったらいいのかということについて、今日は時間も許される範囲の中で、僕なりの話題にも触れながら皆さんと話を進めていきたいと。とりあえず、冒頭の問題提起という意味で、一応話を閉めくくらせていただきます。

○司会 ありがとうございました。

 それでは、早速質疑に移りたいと思いますが、質問はなるべく簡潔にお願いします。

 それでは、どなたからでも。

○質問者 それでは、簡潔にちょっと質問したいのですが、道庁のたけやまと申します。

 それだけ複雑なIT化という一種の基盤をアメリカというのはちゃんとコントロールできるような人たちが存在しているのでしょうか。あるいは育ってきているのでしょうか。つまり、物すごく複雑化してきますよね。それは、みずからの中のセキュリティーにも非常に問題があるのではないか。それが結局エンロンだったり、ワールドコムだったりという話にいっているのかもしれませんけれども、そこら辺、一種の倫理の問題かもしれないのですが、アメリカは今どうなっているのでしょうかという質問、お願いします。

○寺島氏 おっしゃるように、僕が言いたいのは、陰謀説みたいな話ではなくて、アメリカというのは、多様性をもとにしている国でもあるし、制御性というものが十分に働かないから9.11みたいなことが起こるんだということが言えるわけですけれども、一つ言えることは、さっき言い忘れたのですけれども、9.11が起こった時の一つの事例ですが、アメリカはいきなりビンラディンが犯人だということを世界に向けて公表した。なぜ彼が犯人だと特定できるのだということを聞き返したら、三つの証拠というのを開示したわけですね。それはブラックジョークみたいな話だと言われているのですけれど、一番目にアメリカが言ったのが、2日前に義理のお母さんに電話をかけたというんですね。あいつがそのときに2日後に物すごいことが起こるぞと言ったと。だから彼に決まっていると。これが1番目の証拠です。そこで当然浮かび上がるのが、ではあなたは盗聴していたのですか、という話ですね。2番目に、本人だとどう特定しましたか、声紋鑑定ですか、はてなはてなはてな…が連鎖して、やっぱりエシュロンって本当だったのですね、と世界が納得したというのがこの世界の話なのですね。しかし、インターネットがどこまで制御できるのかということに対して、大変な議論があります。単純な話ではないということも、もちろんそうですし、絶えず綱引きというか、イタチごっこみたいな、中を走っているみたいな繰り返しです。アメリカという国は多様性の中でさまざまな価値観がうごめきあっていますから、陰謀のようにエシュロンシステムが働いているということを誇張するのは危険な部分もあるのですけれども、僕が言いたいのは、アメリカが常に、これはもうアメリカというのは不思議な国で、歴史的な成功体験として、国民国家間の情報通信というものをいわゆるモニタリングという名前のもとに盗聴することを歴史的成功体験の中で総括していて、他人の国の情報通信をモニタリングする。つまり、第二次世界大戦も言うまでもなく日本はすべての暗号電信を含めて抜かれていたわけです。1947年にエシュロンシステムというのはUK、USA、つまりイギリスとアメリカとが最初に共同してつくった世界の情報通信モニタリングの仕組みからスタートしたものです。一段と腰を入れて世界の情報通信のモニタリングを白昼堂々展開している不思議な国なのですね、アメリカというのは。そういう意味合いにおいて、次世代の情報通信の戦略の中で、僕が言いたいのはセキュリティーという視点で、日本のセキュリティーをどうしていくんだという視点がないわけですから。それはおととしの11月27日、日本はIT戦略会議報告書なるものを出したわけですけれども、これはこの世界の専門家に爆笑の対象として話題になった。要するに日本におけるIT戦略というのは、ITをどうやって普及させるかとか、インターネットをどうやって普及させるかとか、インターネットのインフラ基盤をどう充実させるかというあたりが戦略などといって議論されているのですね。今、僕が問題意識の中で言っている、セキュリティーに関する戦略というのはほとんどない。

この間、石井和彦氏と新幹線の中ですれ違って、あなた今何で飯食っているのですかと言ったら、いや実は、例えばおもしろい話で、首相専用機の情報というのは全部抜けているから、どうやって首相専用機の情報をキープするか、例えば首相専用機から電話をかけられないというのです、一切。全部抜けているから。だからどうやったらいいかということについてのプロジェクトを一生懸命自分は担当しているという話をしていたけれども、ことほどさように、必ずしも何もインターネットエクスチェンジの基点を大手町に集中していることだけが問題なのでないというのもあるのですけれども、要するに日本という国は、開放形、分散系のネットワーク技術で中央制御のコンピュータがすべてのシステムを管理しているような仕組みではないところにインターネットのメリットがあるはずなのに、I X起点というものを大手町に集中させている、つまりKDDIビルに集中しているというのが物すごい多くあるのですね。もしあそこで何かが起これば、つまりニューヨークのような事件が起こるとは思えないですけれども、途方もなくセキュリティーの低い戦略性のない状況になっている。要するに、そういう意味合いも含めて、グローバル化時代のシステム設計というのは、すごくナーバスな問題をはらんでいる。そういう面で、アメリカの陰謀論みたいな話ではなくて、次世代のこの種のシステムの中に立ち向かっていく問題意識がないと、グローバルガバナンスの議論に参加できないということですね。つまり、ありとあらゆる面で手も足も縛られ、目も鼻もふさがれているような状態で、ガバナンスも何もないというところにだんだん気がつかなければいけないと申し上げたいですね。

○質問者 札幌市役所のわたなべと申します。

 寺島さんが今マネーゲームにアメリカも日本も踊らされているというお話をされておりましたけれども、前に寺島さんの本を読ませていただいた中で、ものづくり国家としての日本の重要性を説かれていたと思いますけれども、今、中小企業が不況で倒産したり、産業の空洞化で海外の方に工場が移転したりしておりますけれども、その中で、ものづくり国家としての日本の再構築に向けた戦略といいますか、今後の対応はどう考えていくべきなのかということを質問させていただきたいと思います。

○寺島氏 ばかげた具体例で説明しているなと思うかもしれませんが、要するに個別の要素、ものづくりにかかわる個別の要素において、人も人材の質も技術力もポテンシャルな企業が、資金力を持っていながら、総合戦略がないために立ちつくしているというのが日本の置かれている状況なんですね。それでアメリカの発信してくるマネーゲームに揺さぶられている。今現実に日本で進行しているのは、セコンドディベロッパーという言葉が最大のキーワードだと言われているわけでしょう。ファーストディベロッパーが240億円かけて開発した案件があったとしますね。それで、不良債権になって、ある外資がそれを10億円で買ったという案件が山ほどあります。不良債権は密の味と言って、要するにデフレスパイラルの中で、「不良債権問題を何とかしろ何とかしろ」というプレッシャーを受けて、まなじりを決して不良債権の償却に立ち向かうと。ますます株が下がると。不良債権にならなくてもいいような案件まで不良債権になる。その不良債権に群がるありんこのように、不良債権をさらに買い叩く。買い叩いた人は育てる資本主義ではないのです。今、日本再生ファンドなんていうもっともらしい名前をつけていますけれども、外資のはげたかファンドの人たちが結束して不良債権を買えると。240億を金利負担で解決するなら、絶対に黒字にならない。10億で買う、売れる土地が6億でも買う。そうすると、残りは例えばホテルならホテルの物件は1億で手に入れたと同じようなことになる。これは、プラス、黒字になるのですね。黒字になったらそれを売り抜くのです。だから、事業体としてそれを社会的に貢献するために育てるなんていう発想ではなくて、とにかくそれがつまりアメリカで例えばMBAなんかに行って学んできた人たちが、外資の日本再生ファンドなんかに参画して、前にリクルートやなんかなどでワクチンができているから、要するにそういう人たちがセコンドディベロッパーという形で展開しているシナリオというのは、まさにそういうパラダイムなんですね。ところが、自虐主義みたいなサイクルに入っているものだから、ますます買い叩かれて、さらにそれが新たなるデフレスパイラルの中で株価の低下を引き起こすという構造の中にあるということに気づくならば、ここで大事なのは、やっぱり不良債権問題の償却にしても、財政の均衡にしても、本当は一定のなだらかな成長のプラットホームの中でしか後ろ向き問題は解決しないという歴史の常識みたいなものに立ち返ってみるなら、今我々が戦っているゲームというのは何なのだということに気がつかなければいけないはずなんです。僕が言いたいのは、この国の潜在成長力を1と見るか1.5と見るかの論争はともかくとして、少なくとも1から1.5の成長力を実現しながら、順次不良債権問題だとか後ろ向きの問題を解決していかなければならない。では、日本の銀行は過去10年間に不良債権問題に一切手をこまねいて手がつけられなかったかというと、そうではないですね。累積100兆円を超すような償却をしている。にもかかわらず、新たな不良債権がわき出てくる。バブル期のいわゆるバブル後遺症の不良債権の償却に腐心していたというのは95年までですね。その後はデフレ型の不良債権がどんどんどんどんわき出てきているというのが現在の状況です。そこで成長のプラットホームで話題にしようとしているのは、ものづくりを基軸にした成長のプラットホームを設定するということはどういうものだろうか、という話になっていくのですね。

 僕は日本の経済界も焼きが回っていると思うのは、過去四、五年、この国の産業を活性化するために行われた議論を思い出してみると、橋本内閣のときに言っていたのは恒久減税というやつですね。要するに税金を下げれば消費が出るかもしれない、産業の設備投資が出るかもしれないから、税金を負けろというのが言われて。内閣が倒れるぐらいまでの変な話になってしまって、その後出てきたのが何だというと、今度は金利を下げろということで金融政策、ゼロ金利まで下げて、さらに今度は量的緩和だといい、インフレターゲットだといって、もうこれ以上金融、とにかく銀行に金を預けても仕方ないでしょうというところまで金利を下げて。これもインセンティブですね。さらに追い打ちをかけて、小渕内閣の時代にやったのは、公共投資のばらまきという、景気づけのために公共投資で活性化するしかないんだとかいうことをやったときに、気がつかなければいけないのは、これは全部インセンティブですね。景気刺激策、それはどういう意味かというと、絵で言うと額縁の議論なのですね。つまり、プロジェクトとか事業とかプロダクトの話ではなくて、それを活性化させるために、というインセンティブ政策を議論することが浮上策だという、つまりリバイタライゼーションのための政策だということで走ってきたわけですね。ところが、本当にしなければならないのは事業であり、プロジェクトであり、では事業とは何だということですね。例えば、僕が言いたいのは、この国が持っているポテンシャルを結集して、総合戦略にしていくような、例えばプロジェクトとかプロダクトとは何だろうか。これは話し始めればきりがないのですが、例えば一つだけ挙げますと、プロダクトエンジニアリングで、最近やたらそれは熱く推進しているから例として申し上げるんですが、例えば「自動車以降のプロダクトサイクルって、日本って何があるの?」という質問を、よく海外へ行くと受けます。日本の輸出の主力品目が自動車という時代がもう10年以上続いてきているわけですけれども。自動車以降のプロダクトサイクルって何ですか、今輸出の1位は自動車、2位は半導体等電子部品、3位は事務用機器、事務用機器もどこまで競争力があるのか、中国だ、やれ韓国だと。はてなと疑問を改めて感じるのは、自動車以降のプロダクトサイクルですね。最近僕が非常に気にしているのは、こういうふうに言っているのですけれども、トヨタのレクサス、セルシオに象徴されるような自動車の産業技術というのは確立したと言われていて、ベンツをも凌駕したと我々は物すごい誇りを持っているけれども、では、例えばこの国が不思議だなと思わない方が不思議なんですけれども、東京・札幌を往復している飛行機に、日本製の飛行機なんかで飛び回っている人は誰もいない。世界に展開していっているけれども、ジェット旅客機で、日本製のジェット旅客機なんか1台も飛んでいないですね。YS11以降、プロペラの飛行機だって旅客機は飛んでいない。はてなと思うはずなのですけれども、今アメリカに行って議論して、もし日本が中型ジェット旅客機の生産に取り組むということを発表したら、あなたたちどう思いますかと言ったら、にやっと笑ってですね、全員こぞって、あなた何ばかなこと言っているの、そんな話だけは二度としない方がいいよと。やめた方がいい、アメリカのもの買ってりゃいいんだ。マーケティングの常識に返れと、ボーイングに勝てるわけないじゃないの、欧州のエアバスに今さら勝てるわけないじゃないの、という話で、沈黙というのを今までしてきたわけですね。ところが、本当にそうかという話なんですね。私は何もナショナリズムで言っているのではなくて、日本の確かに部品という意味においては、アメリカの宇宙航空産業には非常に優秀なものを提供していると言われているけれども、総合システム産業としてのイメージのための事例として、総合システム産業としてのジェット旅客機というものの生産に全くの実績がないということが、日本の置かれている現状を象徴しているんですね。ジェット旅客機というのはITの固まりであり、ナノの固まりであり、バイオの固まりであり、そういうことから考えたときに、日本の産業創成ということを議論すると、必ず三大話みたいにIT、バイオ、ナノとなる。では、具体的なプロダクトイメージって何なのですかという話になると、急にがくっとして首をかしげるというのが現状なんです。考えてみると、例えば千歳の活性化も含めて、空港基盤整備と今のジェット旅客機の話というのはすごくリンクしているんです。例えば、今僕は沖縄の空港基盤整備に関わっているからなんですけれども、4,000メートル1本ふやしてどうするといったら、それはコミューター型のジェット旅客機の需要という時代が来ると読んでいるわけですね。つまり、向かいの台湾だとか上海だとか香港とか、いわゆる100人乗り以下のジェット旅客機、ジャンボなんか飛ばすのではなくて、コミューターのように動き回る、例えば沖縄-羽田とか、沖縄-関空などというプロジェクト、空路だけではなくて、沖縄-札幌だとか、沖縄-松山、金沢なんていう動きがこれから非常に重要になってくる。つまりそれを支える100人乗り以下のジェット旅客機を日本が生産に立ち向かうということをもし発表したら、これがそれほどピンぼけな話なのか。日本の例えば不良債権の償却に1兆円の国費を投入するぐらいなら、1兆円のコアマネーを注入して戦後蓄積してきた産業技術とエンジニアと資金力を注入してでも、日本はそれをやるぞということを、プラットホームというのはそういうイメージということですよ、そのことがもたらすシナジーの大きさということを考える必要があるだろうなと。

 私、中国に来週も行くのですけれども、行ってつくづく感じたのは、中国は10年以内にジェット旅客機を必ず生産してみせますと言っています。そうすると、10年たったらこういうパラダイムになっている可能性があるのですね。あら、日本はGPSも自分で打ち上げられないのですか、中国は自前で打ち上げましたよと。日本はジェット旅客機もつくれないのですか、日本ってやっぱり自動車までの産業国家だったのですねと、こういうふうになりかねない。

 僕が言いたいのは、誤解していただきたくないのは、ジェット旅客機だけが問題解決の唯一のプロジェクトだとばかげたこと言っているのではなくて、シンボリックマネージメントということを言っているんですね。こういう話を、一つのイメージとしてとらえていただきたい。産業活性化のために今必要なのは、そういう総合戦略なのですね。成長のプラットホームみたいなもの、ものづくりを空洞化させずにどうやってつくり出していくのかということに、知恵を絞らなければいけなくなってきた。僕はもちろんジェット旅客機だけではないと思いますよ。例えば今すごく実現すべきだと思っているのは、北海道の活性化ということです。一例だけ挙げて話を終わらせますけれども、例えば、今我々も本気で取り組み始めているバイオマスエタノールというのがあります。これは何なのかというと、エネルギーと食料と、例えば環境というキーワードを三角形で配置しておいてもらって、その真ん中に総合戦略でブレイクスルーになるようなプロジェクトに何があるだろうかと考えたら、今アメリカではカリフォルニア州がガソリン、つまり車のガソリンに10%のエタノール、つまり植物性エタノール、つまりトウモロコシからとったエタノールを混入するということを始めたわけですね。ブラジルは2割混入し始めています。こっちはサトウキビから。何のためにというと、CO2対策ですね。アメリカは京都議定書からドロップアウトしたけれども、何か自前で立てた目標を突破していく技術基盤を打ち出さなければならないと。そこで俄然殺気立ってきたのは農業団体で、農業企業というのがあるわけですが、ワシントンに懸命にプレッシャーをかけ始めているのが、このバイオマスエタノールなんです。なぜならば、トウモロコシを遺伝子組みかえ技術でもって増産していくという見通しを立てたら、そんなもの人間に食わせたら危ないという話が出てきた。では、車に食わせてしまおうという、ある種きれい事ではない話が背景にあるのですが、そこがしたたかで戦略的なところです。一気にCO2対策の目玉として、例えばこのバイオマスエタノールが出てきた。そこで、日本で、例えばこの国のバルネラビリティというのを考えた時に、エネルギーの外部依存度が言うまでもない、中東に対する石油の依存度はついに去年87%を超えた。あの石油危機と言われた78年だって78%ですから、いわゆる市場化という流れの怖さ、グローバリゼーションなるものの怖さなんです。つまり、もはや石油は戦略的な政治商品ではない。市場に任せろという商品になったという流れをこの10年間でつくられてしまっているから、IEA、パリに本部のある国際エネルギー機関の大きな議論の潮流はこうなっているのです。その中で何が起こったかというと、1セントでも安い石油をこの国に調達してこなければ、川下の競争が成り立たないという状況の中で、日本の選んだ道は長期的にサプライソースに腐心するだとか、安全のために多角化するだとかという話を一切なしで、1セントでも安い石油を、とにかくでぶでぶに太らせたタンカーで中東から数珠つなぎにして持ってくるのが一番効率的で安いという選択肢を言ったために、気がつけば87%なんですね。この87%というやつがトラウマになって、中東のシーレーンを現実的に守っているのはアメリカだという、中東にミリタリー・プレゼンスを持っているのはアメリカだという現実感があるから、アメリカが中東に展開していくシナリオについていかざるを得ないということで、自縄自縛のところにみずからを追い込んでいる。であるがゆえに、中東依存度を何としても下げろと。では、どうやって、という話。

 今、三井・三菱連合でやっているサハリンプロジェクトというのは、10年後に絵に画いた餅のようにうまくいったとして、25万バレルですよと。日本という国は1年に500万バレルの石油を飲んでいる生き物みたいなものですね。25万というのは5%のサプライソースが多角化するだけだけど、どれほどの先行投資がいるか、ということです。ということから考えたら、例えば北海道のトウモロコシを増産して、そこからとったエタノールを、北海道こそ環境問題の先頭に出るべきなのだから、例えば北海道の走っている車は全部エタノール混入車にするという、カリフォルニアモデルみたいにして一歩踏み込んでやり始めたならば、日本のエネルギーの中東依存度を引き下げ、地盤となる農業を生かし、それを再生環エネルギーとして使っていく。さらには環境保全にも貢献する。僕が言いたいのは、多目的を同時解決していくような総合戦略というイメージで今お話ししているんですけれども、そういう発想がパラダイムを変えていくというか、そういうものについてチャレンジしていかなければいけないのです、これから。それがつくるであろう産業基盤、農業だとかあるいは環境ビジネスだとか、シナジーというものを設定していかなければならない。そういうものができ上がって、そういうプラットホームを幾つも積み上げていくことを主力の議論としてしなければいけないのに、インセンティブの議論、マネーゲームの議論、どうやって不良債権を償却するかという話。つまり全員が俄か金融エコノミストみたいになって、金融の話だけにまなじり決しているというパラダイムにはまっているというか、クモの糸に取り囲まれているということに気がつかなければいけない。それを議論することが、あたかもグローバル化における常識であるかのようなゲームに誘い込まれている。そのことなんですよ、僕が言いたいのは、簡単に言うと。

○質問者 今の話で、つながるという気もするのですが、今マネーゲームの中で大学生の若い連中が、人気の部門でも、あるいは手に職をという部門でも、ほとんど出てこない。みんな金融ブロック系というところに行って、高額の収入を得ているという、そういう中で、今日本の若い人たちの生活が成り立っている。これと先ほど言われたセキュリティーを次世代が本当に守っていけるのかということ。これって、やっぱり企業、世界が持っているグローバルな部分と、本来地域の中で若い人たちをどういう形で育てていくのかという部分とリンクしてくるのかなと。この辺を寺島さんが見てきた部分で、何か御指摘いただければと思います。

○寺島氏 もうそういうことを聞かれてしまうと、言いたい話が出てきてしまう(笑)。私、中央教育審議会の委員もやっていて、一体この国の教育をどうするのだということについて、いろんなヒアリングをしていて痛感することなのですけれども、10年アメリカに行って帰ってきた後にいきなり起こった出来事で、一番衝撃を受けたのは神戸の14歳の首切り殺人事件というやつなのですね。あの14歳が今大学に入ってきているのですよ、世代的にはね、ちょうど。あの世代がまさに17歳の問題を引き起こしている。2年ぐらい前に17歳問題とかと大騒ぎしていた。その人たちがキャンパスにあらわれて、僕も早稲田の大学院大学とか、宮城県立大学とかで、そういう若い人たちと触れ合っていて感ずることありなのですけれども、要は神戸首切り殺人事件の少年がケーススタディーとして面白いのですけれども、お父さん、お母さんは全部団塊の世代なのです。つまり僕らの世代なのですね。団塊の世代の娘、息子たちという人たちがキャンパスにあらわれてきたというのは、そういう状況ですね。そこら辺なのですけれども、いろいろじっくり議論してみると、今日本の教育の最大の問題は、大人社会にたわいもない中年しかいなくて、子供にとってモデルにしたいという存在に出くわしたことがない。だから大人社会をなめ切っているのですね、話を聞いてみると。要はあんな人にはなりたくないというモデルはいっぱいあるのだけれども、なりたいというモデルがほとんどないと。そこで神戸首切り殺人事件のお母さんが本を出しているのですね。びっくり仰天するような本なのですよ。何が書いてあるかというと、自分は教育が大事だと思って努力をしたと。ただいまと子供が帰ってきたときにお母さんが家庭にいない家庭は大問題だと。したがって、かぎっ子にしてはいけないから、専業主婦として生きたと書いてあるわけですね。ああそうですかという話ですね。家族のコミュニケーションが大事だから、週末には必ず家族みんなでファミリーレストランに行って、卓球台を買ってみんなで卓球をやったとか書いてあるわけです。そんな立派な家庭に、なぜ14歳の首切り殺人犯みたいな子供が生まれたのでしょうという謎めいた話ですね。そこで、その本の分析をするとわかるのですけれども、そのお母さんが一言も使っていない言葉というのがあるんですね、その本の中で。本人が書いたのかどうか知りませんよ、ジャーナリストがかわりにヒアリングして書いたのかもしれない。それは何かというと、「社会」とか「時代」とかという言葉が一つも出てこないんですね。要は、私生活主義の徹底というやつなんですね。それから、戦後の我々が多かれ少なかれ偉そうなことを言っていても、我々自身の引きずっている価値観というのは経済主義ですよ。つまり拝金主義といってもいいのですけれども、とにかくとりあえずいろいろぐちゃぐちゃする議論はやめて、保革対立の時代の五・五体制、いわゆる二極分立といわれた時代を埋め合わせられる唯一のロジックが、PHPの思想というやつで、ピース・アンド・ハッピー・スルー・プロスペリティーで、とにかくプロスペリティーを目指しましょうや、というところだけが合意形成できている。ひたすら経済ということに価値を置いた人間というのができ上がっているから、要するに、経済主義と私生活主義、私生活主義というのは個人主義ではないのです。個人主義なんていうのはね、国家がどんなに強制してこようと、おれは自分の思想を守るんだという哲学の問題なんですけれども、私生活主義というのは、パンが好きかクレープが好きかなどというこだわりを、あたかも哲学であるかのように誤解している程度なのです。私生活ミーイズムというやつで、つまりおれの生活には干渉しないでくれというやつなんですね。だから団塊の世代、僕ら自身のことですよ、これは人ごとで言っているのではなくて、僕も本当にそう思うけれども、自分の娘たちに発信しているテーマは一体何なのか、せめて世の中の迷惑にならなければ好きなことをしていればいいよ、という程度の発想でしかメッセージを発信していない。そこで、親が社会の矛盾と戦っているかとか、社会が抱えているテーマに対して、ひたすら歯を食いしばって頑張っているなんていう姿を見ていないから、世の中というものを根底的になめ切っている。その教育の大問題というのは、まさに大人社会に先行モデルがないというやつで、ここが尋常じゃないところなのです。

 マネーゲーム批判というのは、僕は繰り広げられるのは非常にむなしく思うのは、北海道をこの間分析して愕然としたのだけれども、全国で北海道ぐらいサラ金が跋扈している地域というのはないのですね。それは北海道の人というのは、いつの間にか中央依存の体質の中で、人に借金するということは恥ずかしいことだと思わなくなっているのだろうと僕は思いますが、とにかく駅前からグランドホテルに歩くだけでも、サラ金がくれるティッシュが山のようになるという世にも奇天烈な街になっているわけです、これは何も札幌だけではないけれども。この間TBSがついにサラ金の宣伝をゴールデンアワーに映してもいいということを受け入れてしまったために、これは時間帯でちゃんと分析してみるとぎょっとなるほどCMに占めるサラ金の宣伝の比重というのは滅茶苦茶なわけですよね。これはもう「初めてのアコム」が、子供が最初に覚える歌だみたいなことになってしまって、そんな国になってですよ、勤労の尊さだとか、頑張って生きるなんていう価値を伝承するなんていうことはよほど難しいわけですね。要は何もPTAのおばさんみたいな話ではなくて、社会システムそのものの中にマネーゲーム化というものを許容して、それでなくても金に不自由している人が27.5%の金利を払って返せるわけがないという、破綻を前提としたシステムでビジネスモデルが成り立っているとしか思えない。だから去年15万件になった、ついに、個人破産が。自殺者3万3,000人、交通事故死9,000人で、いわゆる自殺者3万3,000人の背後に個人破産15万人の構図がある。まだ恥ずかしいと思って死ぬ人は立派みたいになっちゃっているのですね。それぐらいのことになっている、価値が液状化している中で、教育を建て直すなんていうようなことがどれほど難しいかと感じますよね。余計なことを言う気はないのですが。そういう意味で、おっしゃるようにマネーゲームというのは世界潮流というだけではないのですよ。日本自身の置かれている状況も、さらにそれに輪をかけるような形になっているということを、しっかり組み立て直して、この国の産業の基軸が何であるのかということに思いを致して、やっぱりさっき言ったようなプラットホームを作り上げていく中から、自分の人生の喜びをそういうプロジェクトに参画することによって得られるということを作っていってあげないと、やっぱりMBAでも出て悪知恵の資本主義に荷担した方が収入が多いよなという、そういう時代、その方が格好いいよなというふうになってしまっているから、これはどこかで断ち切らないと。

 余計なこと、おもしろ半分な話として聞いてくれればいいのですけれども、僕は何年か前のPBECの総会でマハティールがワシントンにやってきたときに、一番先頭で聞いていたのですけれども、彼がこういう話をした。これは象徴的な話なんですよ。アジアの価値ということで基調講演があって、こういうことを言ったのですね。アメリカ人はアジアの貧しい国にやってきて、10歳ぐらいの少年が家族労働の一環として働かされているというシーンを見たら、またおせっかいないわゆる人権主義というやつがふっと首をもたげてきて、これは人権蹂躙だ、子供を学校に行かせるべきだと言い出すだろう。ところが貧しいアジアの国では、家族労働の一環として汗を流しながら教育を受けているとも言えるんだと。ちなみに、そこからなのですが、爆笑で、ちなみにといって最後っ屁みたいな話をしていったのは、アメリカでは25歳の年でも親のすねをかじってMBAだ何だというところで勉強している人が多いそうだけれども、そういう人たちが本当にまともな立派な人間に育っていますか、と言って檀を降りたんですね。もう2,500人ぐらいのアジア、太平洋のビジネスマンが聞いていましたけれども、割れるような拍手の中を、クリントンもその時聴いていたんだけれども、降りていったシーンを思い出しますけれども、まさに、彼の言うアジアの価値が正しいという訳ではないんだけれども、要はそこらあたりの問題意識がすごく重要になりますよね。

○質問者 小泉内閣における日本経済の構造改革に対して、現実的に今あるものを評価は別にしましても、今あるものに対して、地方として、一ガバナンスとして、どういった態度で臨んだらいいのか、というアドバイスをいただければ、と思います。

○寺島氏 僕は、まさに整理されておられるように、小泉構造改革が何かというと、構造改革の政策基本思想が、竹中さんのような経済政策思想に象徴されるような競争主義、市場主義の徹底というのが、この国を救うと考えている部分がある。だけれども、どうもそうではないということが、その後の展開の中で見えてきています。だからそれに水を差すだとかというようなレベルを越えて、既に歴史のゲームは一回転しているんだと、外へ出て議論をすると、20年おくれのサッチャー革命みたいな選択でいいのですか、ということがもう見えているということです。僕の言いたいのは、例えばですよ、政策のアジェンダ・セッティングにおいて非常に重要なのは、プライオリティー、つまりリーダーの資質、改革というものを語るリーダーの資質において一番大切なのは優先順位ですよね。例えば、今我々がこの半年つき合ったテーマを思い出すと、それこそ有事立法から何からああだこうだ議論したけれども、この内閣の最大の優先事項は郵政の民営化だということに収斂したわけですね、話としては。しかしそこではてな、と常識に返って考えてみたら、多くの人がぎょっとなったと思うのですね。なぜならば、例えば国鉄の民営化のときのように、郵政って赤字でもたれ流して国民に巨大な負担でもかけているのですか、というとノーですよね。郵政事業というのは物すごく非効率なのですか、遅配が起こって3カ月ぐらい郵便が届かないなんていう事態が起こっているのですか、さらには切手代が異様に高くて、国民がものすごく苦しんでいるのですか、というと、国民の目線にかえって何一つ不都合はない。ただし、民営化しない方がいいなんて言っているのでないですよ。民営化した方が独占事業よりも、競争関係を注入した方がベターだという議論には賛成ですね。だが、マストな議論なのかと、あらゆるこういう国難の真っただ中で、最も優先しなければいけない話のアジェンダにこれが出てきているところにぎょっとなる。要は、そこからなのですね、我々の発想を考えるのは。本当だったら、もしこの政権に本当に正当性と度胸があるとするなら、僕は情報通信審議会に関わっているから言うんですけれども、情報通信分野でもしプライオリティーを高くやらないといけないことがあるとすれば、例えばNHKの民営化ですよ。つまりなぜならば、国民一人一人の家庭に、NHKが強制ペイテレビとなってのしかかってきている。NHKの仕組みって何なの、アメリカだってPBSみたいな公共放送がある。公共放送は大事だと。だけど何で集金人がやってきて各家庭から毎月年間3万円近い金を、税金にも近いような形で負担しなければ公共放送が成り立たないような仕組みになっているのか、ここが議論されなければいけないわけで、何で郵政事業の民営化が最優先の課題なんだと、みんなきょとんとなっているんだな、現実問題として。そこで、市場主義、競争主義の徹底、一段と腰を入れて市場主義、競争主義を徹底させると言いながら、話は相当ねじれていますねということに気がつかざるを得ない。同じ政策思想に立つとしても、もう一つ小泉さんの構造改革を支えている大変な大きなモチベーションというのは、深い深い対米コンプレックスなのですね。つまり、対米協調というのが政策の基軸をすべて貫いているわけですよ。例えば、昨年の8月15日に靖国神社に参拝している。多くの人は、アメリカサイドではどうとらえたかですよ。いよいよ来たかと。A級戦犯が合祀されていようがいまいが、おれは靖国神社に行くのだというメッセージの中に、ひょっとしたらA級戦犯という、つまり東京裁判の仕組みそのものに対する問題提起とか、あるいは原爆投下まで含めて、そもそもあのシステムというのはおかしかったなんていうことを言い出しかねないような、本当の意味での新しい日本のナショナリズムの芽生えなのかと思っていたら、そうでもなくて、いきなり9月になったらAPECを前にして中国に日帰りで行ったと。韓国も日帰りで行ってきた。中国に着くなり廬溝橋に行って詫び入れて、江沢民に会って日帰りで帰ってきた。韓国へ行った。日本人が昔朝鮮の人を虐待していたという刑務所跡地のところへ行って詫び入れて日帰りで帰ってきた。右の人もはてなという気持ちになりましたね。左の人もはてなと言って、アメリカもはてなと言いまして、はてななんだけれども、実は彼の中ではコンシステンシーがあるのですね。というのは、アメリカに頼まれたことは死んでもやるというロジックすね。つまりAPECを前にして、とにかく日中韓で変なさざ波を立てないでくれよと、テロへ対する連帯ということをやろうとしているときに、訳のわからないこの流れにちゃんと根回ししておいてね、というリクエストが来るや、にわかに殺気立って、ではという形で動き始めた。つまり驚くほどの対米コンプレックスですね。そこで、そういう中で僕が言いたいのは、アメリカというフィルターを通じてしか世界を見ないという価値観の中で構造改革は成り立たない。本当の構造改革ということがこの世の中に言葉としてあるとすれば、アメリカというフィルターを通じただけの改革ではなくて、やっぱり戦後のトラウマだけではなくて、アングロサクソン同盟を75年、20世紀100年間の4分の3も続けてきた国の悲しさというか、その前半は日英同盟、後半は日米同盟という、2国間のいわゆる軍事同盟を基軸に20世紀を生き延びたアジアの国という奇妙な自画像を持っているから、日本人の意識の中にアングロサクソン同盟は成功体験だというモデルが埋め込まれているものだから、この枠組から離脱するということに対する恐怖心というのは物すごいのですね。しかも間に挟まった25年が戦争を挟む非常に不幸な体験だったために、思い出したくない。アングロサクソン同盟を持っていた時代だけは安定していたという思い出があるものだから、なかなかそこから動き出さない。

 小泉さんの場合には、横須賀出身の国会議員として、おやじが60年安保でデモ隊に血まみれにされて帰ってくるのを見て、物すごいそういう市民運動とか反米運動に対する憎しみを吐き出すのですよ。唇かみしめてそういう少年時代の体験が自分の考え方をこういうふうにしたのだと御本人が言っていることですけれども、要するにそれぐらいトラウマみたいなものがある。それで私が言いたいのは、構造改革と言っているけれども、それはアメリカ流の価値に基づくものだということ。アメリカが悪いということを言っているのではないですよ。アメリカの持っている普遍的な価値というものを誰よりも評価する立場の人間だからこそ、例えば日米安保というものの見直しにしても、アメリカとの経済関係にしても、やっぱり日本が相互リスペクトに近いパラダイムをつくれるような方向へ持っていかないとだめだ、というのが僕の意見です。最近書いている本でも、まず日米安保というのはどう変えていくのか、毎回言っておりますけれども、とにかく、常識を変える。二つの常識を。一つは、一つの独立国に外国の軍隊が駐留しているというのは不自然なことだという常識に帰ろうと。過渡的な状況としてそういうことがあることはよく分かる。だけれども、この先50年、今のままの仕組みが機能してもいいということを前提とするならば、アジアの国は、あるいはロシア、中国とかは、日本をまともな大人の国だとは見ないだろうというのが、国際社会を動き回っていて感じる最大のポイントですね。それで、僕はあんまりそういう話はしないんだけれども、IJTCという、イランの石油化学のプロジェクトで、革命イラン政府と交渉するという下働きの仕事をずっとやってきたんですね、80年代に。これは大変日本が置かれている状況というのが象徴される話だからぴんとこられると思うのですけれども、89年に三井グループがこのプロジェクトから全面撤退して、5,000億円の金を失うという形になったわけです。最後の瞬間に起こったことが、その瞬間に本質が見えましたね。この合意事項で行くということが決められた最後の合意事項について、イラン側が言い出したことが衝撃だったのですね。何て言ったかというと、この合意事項にアメリカの裏書き保証がいると。三井グループが、あるいは通産省が、日本政府がこれで行けという合意事項に、なぜアメリカの裏書き保証を我々がもらってこなければならないのか。屈辱的な要求ではないかというふうに思ってはね返しましたよ、もちろん。だけれども、イランは平然と言いましたね。あなた何言っているの、日本はアメリカによって守られているんだと。シーレーンを守っているのはアメリカだと。それで、アメリカがこの合意事項に反対だと仮に言い出したら、あなたたちイエスと言うだけの権限のある国なのかと。ここなんですよ。北方四島問題も全く同じですけれども、日本人の国際認識というのは、エリツィンやプーチンが理解のあるいい人だったら、ひょっとしたら北方四島が返ってくるかもしれない、と思っている程度の国際感覚ですね。もし北方四島をロシアが返せるという瞬間を迎える時が来るとしたら、ロシア国内のナショナリズムを押さえ込んで、日本に北方四島を返したら、あそこにアメリカが軍事基地をつくったらどうするのだという国内世論が必ず登場してくる。何をばかなこと言っているのだ、それは心配ないんだという地盤をつくらない限り、北方四島なんて返ってくるわけがない、という子供の常識にも近いほどの、ハーバードのロシアスクールの人だったらもう苦笑いしてしまうような程度の国際認識しかない。だから、もし北方四島を返してもらう地盤をつくるとすれば、極東に多国間の安全保障のすべてを、フォーラムぐらいからスタートして、意思疎通を密にして、絶対に北方四島が返っても日本はそこに米軍基地なんかつくらないからな、という保障がしっかり確認できるような事例をつくらなかったら、絶対にそんなものは返らないということ。つまり、僕が今言っている話は、外から見た日本というのは、本人が思っているほど大人の国だと認識してくれていないということなんですね。本人は大人だと思い込んでいる子供みたいなものだ。中国から見た日本、ロシアから見た日本は、建前では日本は戦後復興した偉大な国だと持ち上げていますが、根の底にあるのは、日本はアメリカ周辺国だと。ロシアの人が持っているイメージもそうですよね。ですから、対米関係の再設定というのは、何も嫌米でも反米でもない。親米派こそアメリカとの軍事国家のあり方について主体性と機軸をもって時代を変えていかなかったら。これは何かといえば、地位協定の見直しであり、基地の段階的削減だというふうにテーブルに乗せて立ち向かうという姿勢を見せない限り、アジアの国はまともな大人の国だと認識しないでしょうね。いわんや中東の国もそうだ。ですから、僕が言いたいのは、構造改革なんて言っているけれども、本当の構造改革というのは、今僕が言っているような問題意識が、政策論の背景に見え始めたときに、本当の構造改革というのが始まる。いわゆる世界潮流へ合わせるための改革という意味においては、今進行しているような構造改革が一つの流れの中にあると言ってもいいかもしれませんが、僕の言いたい意味では違うということが、若干は理解していただけるんではないかなと思います。

○司会 それでは、予定していた時間が少し過ぎましたので、この辺で終わりにいたしたいと思いますが、大変お忙しい中、時間を割いていただきましてありがとうございました。また再度機会があれば、ぜひこういうようなお話を聞く場を設けたいと思いますので、また楽しみにしていてください。本当に今日はありがとうございました。