戦後のヨーロッパ統合は、三つの目的(P)を追求し進展してきた。ひとつは、平和(Peace)。独仏和解を軸として、戦争の廃絶を誓ってきた。二つ目は、繁栄(Prosperity)。相互に市場をつなぎ、近年では通貨を統一し、経済の再興・強化を狙ってきた。最後に、権力(Power)。米(あるいは旧ソ連)などにより埋没しがちな欧州諸国を束ね、対外的な影響力を確保することにあった。
しかしいま、域内平和はすでに事実であり、だれも戦争を憂えない。統合は進んだが、経済はグローバル化の下で競争力を低下させ、失業がはびこっている。また、イラク戦争などの肝心なときに、内部で対立する癖が直らない。共通外交の試みにもかかわらず、拡大した欧州連合(EU)の対外的結束は簡単ではない。
そんな二〇〇五年、欧州統合は歴史的な節目を迎えた。いったん締結したEU憲法は、フランス、オランダにおける国民投票で否決され、その後、欧州首脳により批准が順延されたことにより、お蔵入りとなった。この背後には、統合の目的感覚―「夢」と置き換えてもよい―の深刻な動揺がある。事実としてのEUは強靭に残っていても、今の欧州は夢を語れない。
政治的な指導層・エリートたちは、解決を見誤った。夢を憲法へ託したのである。実際には、その「憲法」は、「憲法条約」であり、政府間の取り決めにしか過ぎない。しかし、エリートたちは加盟国拡大後の遠心力に対し、「憲法」というシンボルでもって結束を確保するつもりだった。同時に彼らは、憲法の起草者たる自らを、十八世紀の米国建国期になぞらえ、「(欧州)建国の父」としたかったのである。一種の「国家ごっこ」である。
民衆はそれに乗らなかった。平和は当たり前で、内的シンボル(憲法)は理解しづらく、対外影響力の向上もたいした争点にならなかった。彼らは、高級エリートのお遊びよりも、「バター」、つまり雇用を求めた。けれども、失業問題への対処はEUでなく、加盟国政府が主な責任を担っている。ここでは、不満のはけ口が責任主体とずれたが、すでに統治をEUと加盟国で共同に行っている欧州では、民衆が勘違いしたとも言い切れない。
ここから欧州はどこに行くのか。再確認すべきは、欧州において、加盟国とEUのあいだに成立している重層的な統治体制は、なお強固であるということだ。これは、石炭鉄鋼共同体の時代から半世紀以上にわたり、事実を積み重ねて獲得したものである。つまり、統治の枠組み(西洋語においては「憲法」と同じ`constitution′だが)はとうに成立していた。その意味でもこの枠組みに無理に「憲法」というシンボルをあてがう必要があったか疑わしい。
民衆もこの既存の枠組みを放棄せよと求めているのではない。フランス国民はEUが雇用などの足元の問題に対処するどころか、むしろ悪化させていると怒っていた。ここでは、EUに「より多くの」社会福祉イニシアティヴを求める声もあった。一方でオランダの民衆は、既成政党への批判と、地理的に拡大し予算で重荷となり肥大化したEUへの批判とを重ね合わせた。フランスとは逆に、「より少ない」欧州を求めていたのである。
英国や東側の新規加盟国は、経済の自由化や規制緩和を求めており、フランスなどとの距離はさらに遠い。結局、平和という夢を達成してしまったいま、事実として成立している欧州を承認しながらも、その将来像は分かれたままだ。そして、この合意の欠如を埋め合わせる政治的指導者は、いまのところ見当たらない。
すでにEUは〇七年からの七ヵ年予算計画や、雇用・競争力政策をめぐって、加盟国のあいだに鋭い対立が見られる。これは、安易な代替の「夢」によって超越するのでなく、あくまで粘り強い対話により緩和してゆくべきであろう。
もしこうした対立を、批准失敗のもうひとつの原因とされる加盟国拡大、それに伴う移民流入、工場移転、失業、その背後にある反イスラム感情といった要因と結びつけて、超越しようと試みるのならば、不幸なことになる。このシナリオだと、トルコへの拡大の可能性はすでに希薄になっており、欧州的価値の内向きな、とりわけキリスト教的な再定義が待ち構えている。
その意味で、事実として強固なEUは、精神史的な危機の中にあり、ひとつの岐路に立っている。
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