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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告

  

2006年
07月06日(木)
公開シンポジウム
「格差社会の人権」
講師: 斉藤貴男●ジャーナリスト
パネリスト: 猿田佐世●弁護士
山口二郎●北海道大学教授
共催:北海道大学大学院法学研究科 附属高等法政教育研究センター
 
 
ご案内 ビデオ配信 要約
 昨日(7月5日)、北朝鮮からテポドン2が発射されたとのニュースが伝えられたが、さらに拉致問題も絡めた朝鮮人差別が起こらないかが心配である。このような面も含めて格差問題について話したい。

 格差の問題が言われだしたのは2月頃で、国会で民主党辺りが小泉首相に質問したのを覚えている。質問では、格差の度合いを表すジニ係数を取り上げ、「一億総中流と言われていたのに、なぜこのようなことになっているのか」と聞かれたのに対し、小泉総理は当初「そのような格差は当初からあったものである」と答えていた。そしてそれがいよいよ隠しきれなくなると、「成功者を妬むような真似はよくない」と開き直りともとれる発言をしている。

 私は、小泉流構造改革が格差を広げたと思っているのだが、現在、国会でされている話は格差の問題を矮小化していると感じている。ジニ係数によって格差の広がりは自明のものとなっているが、問題はそれだけではない。例えば雇用者の問題を見れば、契約社員・パートといった非正規雇用が広がっている。この非正規雇用の給料に注目すると、フルタイムの正規雇用と比べたとき、同じ勤労者であるにも関わらず、非正規雇用の給料は正規雇用の60%にしかならない。そして、その6割しかもらっていない人が、勤労者の3人に1人であり、これは格差の拡大を表している。さらに問題はこれこれだけに留まらず、構造改革の一環で非正規雇用が増えている。この非正規雇用拡大の流れは、1995年の日経連が出した報告書がルーツになっている。日経連は、経営者即ち使用者側の団体で、この報告書の中心になった人物が永野健会長である。普通、このような報告書は、そのために結成される審議会が中心になって行うのが慣例だが、日経連会長が自ら取りまとめた異例とも言うべき報告書であり、それだけ力が入っているといえる。

 報告書は、バブル崩壊後の1992-94年の日本経済停滞の原因を分析し、とりまとめたものであり、それによると日本経済停滞の原因は、バブル経済下で人件費が跳ね上がり、その人件費が製品やサービスの価格に影響を与え、国際競争力が低下したためであるとされている。確かにこれ自体は間違いではないが、しかし原因は人件費にだけあるのではなく、もう一つの大きな原因として、バブル期の放漫経営が挙げられるのだが、報告ではこれを無視した形となっている。日経連は経営者の団体であり、自分たちの責任を追及するような報告を挙げる訳にはいかず、結果、2つあった主たる原因のうち、人件費のみを挙げるといった内容になってしまっている。

 そして報告書はこの人件費高騰への対策として、人件費が安い海外への資本移転を挙げている。人件費を抑える案としての海外資本移転は以前からいわれてはいたが、海外の技術力に問題があった時期には、製品の質という面を考えると簡単には踏み出せなかった。しかし、現在では日用品等の面については技術水準の点では問題はなく、結果として地方の高校生などが就職先としていた工場などは海外に移転してしまい、就職先がなくなった人の受け入れ先としてサービス業が拡大することとなった。

 ここでさらに同報告書は「すでに終身雇用の時代ではない」として提言を行っており、その中身は、従業員を3層に階層化するものである。第一の階層は、ブランド大学の大学院卒業クラスの人材で、これは幹部候補生にあたる。この階層は、以前より待遇が良くなる階層である。第二の階層は、高度専門能力活用従業員といわれるクラスで、会計の専門知識や高度のプロフェッショナル技能を持つ人材であり、これをプロ野球の年俸制のように3〜5年の契約で雇用することを提案している。このクラスは、将来は不安定ではあるが、通常のサラリーマンよりは好待遇であるといえる。第三の階層は、雇用柔軟型従業員といわれるクラスで、これには契約社員や派遣社員が該当する。このクラスは極めて不安定である。法的な面でも、昔は雇用関係の裁判では使用者側の責任を問う判決が多かったが、最近は雇用者側に立った判例が出されている。

 この報告書は、日経連会長が出したということから影響力は大きい。そこに加えて、この提言にどの程度、準拠しているかといったフォローアップ調査まで行われているのだから、その影響力はさらに大きくなる。オール経済界の意志に加えて判例の後押しがあることから、リストラの流れは不可避となった。

 しかしながら、末端労働者の問題であることから目が行き渡らず、当時の学界やジャーナリストには動きはなかった。

 この流れは拡大を続け、全勤労者の70%程度まで拡大し、ホワイトカラー層もその対象になっていくと思われる。現に今、厚生労働省ではホワイトカラー・エグゼプションというものがいわれている。これは、ホワイトカラー層の残業代を支払わない制度であり、サービス残業を常態化させることを目的としているのだが、労働組合にしてもこれに対する有効な対策が打ち出せていない。簡単に首になるか、あるいはそこを努力してなんとか抜け出せたとしても過労死の危険が待っているのである。

 ここから経営者とそれ以外という別の区分が見えてくる。請負工場の工場長がいる工場の例では、正規雇用の工場長が過労死した場合は、安全配慮義務等の責任が使用者に求められるが、請負会社の工場長の場合、使用者がその責任を問われることはない。この場合、請負会社の方に責任を問うことになるのだが、しかし請負会社は常に現場で監督をしているわけではなく、その責任を問うのは難しい。結果、よく分からないうちにうやむやになってしまう。

 これは、男性従業員の例であるが、女性従業員についてはセクハラの問題がいわれている。女性が派遣先でセクハラを受け、それを派遣元に訴え出たとしても、派遣元が派遣先にその責任追求を行うのは難しく、セクハラを受けた女性従業員は泣き寝入りすることになる。

 このように、正規雇用と不正規雇用の働き方にあまりに大きな差が生じると、それは身分の差ともいうべき状況となり、不正規雇用者がまともな人間として扱われなくなる。以前、派遣会社の人事担当に話を聞いたのだが、その派遣元担当者は、派遣先担当者が能力等に関する条件を何も出さず、ただ「かわいい娘」とだけ注文してきたことを憤っていた。しかし、その「かわいい娘」を要求した派遣先担当者は、その後リストラになっている。おそらく、自分の会社内での立場が危うく、余裕を失っていたことから、より下の派遣社員を虐めることで自らのプライドを保っていたと推測される。

 このような社会の要請に適っているのが今の教育改革論である。この内容はとんでもないもので、これまでの教育は世の中の秩序のため、これと並んで世の中の人々のための教育というものが目的だった。今の教育基本法の改正案では、それを止めるとまではいっていないものの、人々のための教育の側面より、社会のための側面の方が全面に押し出されている。

 特に顕著な例として、公立高校の大規模な再編成、統廃合を挙げることができる。その内容を見ると偏差値の低い高校が統廃合の対象として目立つ。長崎県の例を挙げると、ここの1〜2年で4つの高校が閉鎖されており、それは偏差値の低い順に行われている。その中のある高校の先生に話を聞くことができた。自分は短絡的にも、その先生に向かって「この高校が閉鎖されたからには長崎市民は気をつけなくてはならないでしょう。この高校に通っていた生徒が暴れるでしょうから。」と言った。自分は“偏差値の低い高校=不良の生徒”という感覚でいたのだが、その先生の叱責からその感覚の間違いに気づかされた。先生は「うちの生徒たちは、あなたと違って暴れたりなどはしない。ただ単に偏差値が低いわけではなく、なんらかの事情を抱えて学校に行けなくなった不登校の生徒なのだから。」と言っていた。このような事態に対する対策は何もなされておらず、教師や保護者による反対も効果はなかった。県の教育委員長は「文句があるのならば偏差値を上げれば良い。この競争時代に甘えは通用しない。」と言って天下っていった。続いて東京の小学校の例だが、私立ではない小学校は試験を課すことはできない。そこで品川のある小学校では、まず希望者を誰でも入学させ、小学校三年生の段階で教師・児童・保護者による三者面談を行い、できの悪い児童には退学してもらうということを行っている。または小学校入学の際に、幼稚園等の内申書をとっているところもある。小中高一貫教育の話題も聞くが、これが行われているのは高い偏差値のところのみである。高校以上については今まである格差を拡大させており、この選別が小学校まで広がろうとしている。

 ゆとり教育の問題も最近の話題である。これは従来の教育内容を3割カットするものである。文科省の言う目的は、「受験競争で落ちこぼれが増えてきたのでそれをなくす」というものであるが、これをゆとり教育で対応しようとすると平均学力の低下が伴うことは必至であり、そこをどうするのかという問題がある。教育課程審議会の三浦朱門委員長にこの点についてインタビューを行ったところ、その返答内容は「平均学力は低い方が良い。できもしない落ちこぼれを無理に勉強させるためにエリートが育たないこととなった。非才・愚才は勉強などできなくてもよく、実直な精神だけがあればよい」というものだった。自分が「それはエリートのための教育だけを行うことを意味しないか」とさらに問いかけると、三浦委員長は「それはそうだ。しかしそう言うと国民が怒る」と返答した。ここには、“エリート教育を行いたいが、現在の教育に対して追加的に行うのは金がかかる。だから教育の機会の均等を除去し、金を捻り出してエリート教育にあてる”という構造がみてとれる。このような例は、郵便局や介護保険制度などのあらゆる小泉流構造改革で見られている。最初はこのような格差を生むもしくは拡大する側面について言及しないが、実際に行動に移すと格差を生み、拡大する例が出てくる。

 格差社会についてのアンケート調査を行うと、結果が層によって異なる。日経ビジネスアソシエイツのような若いサラリーマン向けの雑誌では「今の政策を変更すべきではない」という結果が出る。社会の高層に位置するマスコミなども、自分たちの恵まれた立場で報道を行うことから、一般の人々もそれに影響されてしまう。今の社会ではスタートラインは千差万別である。安倍晋三のように祖父に偉大な政治家を持つサラブレットもいれば、孤児のような例もある。この両者を競争させて、競争が成立するはずもないのに、その大き過ぎる差を是正することなくそのまま競争させてしまえばどうなるのか。税について言えば逆進性の問題である。100m競争をする場合に置き換えて考えると、スタート地点が100m後方にあるハンデを持つ子供をさらに1km下げ、スタート地点がゴール前という優位を持つ子供をさらにゴール直前に置いてスタートさせるようなものである。スタートして結果が出れば、それは全て本人の責任とされてしまう。それは再チャレンジといえるのか。格差をなくすことはできないが、それをより広げてしまうのは問題である。

 これがさらに進めば、命の値段につながる。アメリカの例では人口の20%は無保険者、それ以外の人は民間の保険でカバーするので当然、保険を払える額によって状況が異なってくる。自衛隊出身の小池さんに戦争についての話を聞いた。小池さんは、「現在、憲法9条の2項が改正されれば、憲法上は戦争することが可能になる。そうなれば、今までの試験による採用の形では自衛官になる人がいなくなる。すると、その先は徴兵制になる」といっていた。自分は、徴兵になるかも知れないし、ならないかも知れないと考えている。というのも、アメリカのような方法で兵士を集める方法がある。アメリカでは、貧しい家に生まれたら戦争に行って手柄でも立てないと社会の上層にはいけないという実情がある。このやり方は政府にとって都合がよい。徴兵制にしてしまうと一律、兵士に徴用されてしまうことになるので、エリートもその対象になってしまう恐れがあるので、議論になる可能性がある。このやり方なら、その心配なく兵士を徴用できる。下層にいけばいく程、戦力としてカウントされる社会になるおそれがある。日常的に格差が広がり、戦争が日常になるとどうなるのか。それは、監視カメラ・住民基本台帳・共謀罪などがある監視社会である。監視カメラについては、銭湯の脱衣所やタクシーの後部座席に乗客側に向けてついている例もある。監視社会は対テロ、対犯罪の名目から浸透し、マスコミも仕方がないという論調になる。問題は、何が良いか、何が悪いのかの判断は時代によって変わるということにある。監視社会はこのような多様な価値観を認めない、言論の統制につながる。物事の良し悪しの判断をしたい権力者にとって不都合な言論を弾圧する世の中になる。不平等を拡大するような政策を行っておきながら、それに反する言論の弾圧につながる監視社会を推進する政府には疑問を感じる。

 

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