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老後のケアのグローバル化

 老後のケアのグローバル化?

 人によっては、なんとグロテスクな話題かと思うだろう。しかしながら、高齢化は待ったなしで進行し、このテーマについて避けて通れない。

 周知のように2050年には65歳以上の人口が42%を、そして80歳以上が3分の1を占めるのだ。しかも、一人暮らしの高齢者はどんどん増えており、2030年には全世帯の6分の1を占めるようになる。メタボ検診をどんなに強化しても、ラジオ体操、はては流行のビリーズブートキャンプを導入しても、ケアを必要とする高齢者は、元気な高齢者と同じように増えるのである。

 これに対して昔の大家族を夢見てもはじまらない。お嫁さんが自分の親の世話をしてくれるなどと考えている甘い男性は、もはや少数派だ。他方、ケア労働は、お給料が安く、しかもきつい。この世界で離職率が高いのはだれもが知っている。また、介護事業者の倒産が相次いでいる。つまりケアの担い手が足りないのだ。

 では一体だれがケアを担うのか。

 一つの解は、ずばり男であろう。戦後ながらく典型的であったのは、男が昼間は会社、女は基本的に家庭にあり、その家庭に稼ぎ手の再生産と終末期ケアが任される格好である。もちろんフェミニズムはこれを問い、疑義をはさんだ。しかし、どうも家庭労働の男女格差は残っているようだ。掃除を例に取った米国メリーランド大学による調査によると、フェミニズム革命の前後(1965―95年の間)で、男は240%も家事負担を増やしたが、せいぜい週に1.7時間を使うに過ぎず、女は7%減らしてもいまだ週に6.7時間を費やしており、不均衡は明らかである。

 他方、政府が面倒を見よ、というのも一つの解だろう。介護保険は成立した。これを拡充し、それまで労働し国に貢献してきたお年寄りの面倒を、財政を投入し、施設を造り、介護士を雇用し、見ていこうではないか、とする意見も根強い。けれども、政府にはお金がない。中央政府の長期債務残高は約800兆円に上っており、地方を含めるとさらに借金は膨らむ。

 これらは、前者がジェンダー、後者が国民国家の観点からみた理想解かもしれないが、それぞれの理想に近づくと想定できるかどうかはかなり怪しい。ずぼらな男も、金欠の政府も、同様に腰が重い。男も国も十分に動かない時、まったく異なる解が浮上しうる。東アジアの隣国の例から見てとれるそれは、ケア労働のグローバル化である。そこではケア労働者たる女性の越境が、家庭や施設の風景を劇的に変えている。

 アジアNIESでは、約53万人の外国人家事・介護労働者がおり、シンガポールで15万、香港で24万、台湾で13万、韓国で1万ほどの人(マレーシアにもさらに24万人)が雇用されており、そのほとんどが女性である。

 これらの女性移民の導入は、受け入れ国の政府が主導するかたちで進められた。1974年の香港を皮切りに、79年のシンガポール、92年の台湾、2002年の韓国といったように、送り出し国と二国間協定を結び、続々と途上国女性の受け入れに転換していった。この背景には、高度成長の下、労働力確保が重要な課題となり、自国女性を活用するためにも、比較的廉価で安定的に雇える途上国女性を家事・ケア労働に導入し、雇用主の家庭における家事、育児あるいは介護などの肉体的および精神的負担を低減する必要があったと思われる。

 これは対岸の火事だろうか。そうでもなさそうである。

 日本がインドネシアとの間に結んだ経済連携協定は、今年7月1日に発効した。これにより、看護師・介護士が2年で1000人まで受け入れられることになった(初年度は募集期間が短く、305人にとどまったが)。すでに締結済みで批准を待っているフィリピンとの間の協定を含め、これにより、日本もまた、ケア労働の分野で外国人労働者を導入する方向に踏み出した。

 ケア労働者の不足という事態に照らせば、この動きを指弾して済ませるわけにはいかないだろう。より大事なのは、ほとんどがイスラム教徒であるインドネシア人が、この夏には来日し始め、我々の身近に生活する現実を直視することである。これは、英語も通じない相手への言語教育の問題から、モスク設営を含めた礼拝の慣習への対応、あるいはハラール肉(お祈りを受けて処理された肉)の流通に至るまで、寛容な態度を日々獲得し、受け入れ政策を練っていかねばならぬことをも意味する。多くが英語を話し、比較的なじみのあるキリスト教の信仰者が多いフィリピンとの協定が発効した場合でも、社会的なコストは決して低くない。家庭や施設などの閉じられた空間でのケア労働を外国人に任せる場合、賃金から虐待の問題に至るまで、中央・地方を問わず、政府は受け入れ態勢を早く整えるべきであろう。また、地域住民や支援団体などが、外国人ケア労働者の温かい受け入れを促進するために活躍できる場は今後広がっていくだろう。

 ケア労働のグローバル化は、実はすでに現実になりつつあるのだ。今からでも遅くない。男と国のしりをたたきながら、外国人ケア労働者の受け入れ準備を進める時期に来ている。

(北海道新聞夕刊2008年07月11日)

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