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<書評>「国際正義の論理」 押村高著(講談社現代新書)

グローバル化時代における「正しさ」とは何か

 国際社会における正義と秩序。日本国憲法では双方を希求することになっているが、国際政治における二つの間の緊張関係は十分に認識されていないのではなかろうか。あるいは、日本はかつて、欧米本位の国際秩序を不正義と糾弾した歴史をもつが、戦後はすっかり「善く生きる」ことを決め込み、その分自身の不正義への関与を見過ごしてこなかったか。

 そのような問題意識のもと、モンテスキューをはじめとする西洋政治思想史の専門家である著者が意欲作である本書で試みるのは、正義と秩序の間のジレンマやパラドックスを意識しながら、グローバル化時代における「正しさ」の大局を把握することである。

 その際、著者は膨大な政治思想史・理論の知識に拠りながら、古今東西にまたがる正義の論調を一つひとつ丹念に取り上げてゆく。

 単純化を承知で大まかにいえば、全8章のうちの最初の数章で、普遍的な正義と領域で区切られた正義との緊張関係を概観し、戦争、通商、環境などの分野で人類が積み上げてきた国際正義の遺産を検討する。その後、最現代において最も鋭利に問われている問題群を考察してゆく。それは、政治理論家である川崎修氏の言葉を借りるなら、「マイケル・ウォルツァー/マイケル・イグナティエフ的問題圏」と「ジョン・ロールズ/アマルティア・セン的問題圏」の二つに集約することができよう。すなわち、一つは正戦論や人道的介入などの軍事力行使をめぐる問題であり、いま一つは貧困や飢餓などを含む南北格差の問題である。それを踏まえ、最後の二章では、「正しさ」、とりわけ人権概念が文明横断的に共有されうるのかどうか検討している。

 それぞれに重たいこれらテーマを扱うに当たり、著者の視線は、誰がいかなる責任を負うのか、という点に注がれる。遠い異国で人権が蹂躙され飢餓が蔓延しているとき、われわれは何がしかの義務を負うか。負うならば、それはなぜか。どのようなものか。

 とりわけ説得的なのは、国際社会においてまごうことなき「受益者」として生きている日本という国が、なぜ他国の貧困という問題を無視しえないのかというくだりであろう(第五章)。ここで著者は、トマス・ポッゲやアイリス・M・ヤングなどの現代政治理論を検討しながら、日本人の責任倫理をロジカルに紡ぎだしている。

 他方で、人道的介入については、その是非を検証することの困難が強調され、手続き的な正当性の重要性、そして司法的な解決が大筋として志向されている。そして、最終的には、イスラムや東アジア地域を含む諸文明の間で、対話を通じて人権概念を共有する可能性を説き、本書は締めくくられる。戦後日本の国際政治思想が正義と秩序の間の緊張関係に著者が言うほど無自覚であったかどうかは別として、本書は、全体として大変にバランスが取れており、首肯できる理性的な論調で貫かれている。ただし、新書という制約もあるのだろう。なかには十分に論じきれていない問題が散見される。

 たとえば国際組織は、越境する課題に取り組むのに必要であり、また時に大きな影響力を発揮するのだが、それ自体正統性の上で問題を抱える存在でもある。これは著者が期待を表明する欧州連合(EU)にも当てはまるのだが、こうした点は指摘にとどまっている。

 同様に、グローバルな課題に自国領土を越えて取り組む大国は、その影響力が他国に及ぶのに対して、民主制の上では自国選挙民にしか縛られなくて済むという問題についても、アメリカの例をあげてさらっと通り過ぎている。

 これらは、「正しさ」を国際的、あるいは文明際的に共有するときに引っかかってくる問題であり、根本的には主権やデモクラシーの在り方への問いかけを含むはずだが、本書では掘り下げずに終わる。

 しかしながら、ないものねだりに終始するのはアンフェアであろう。本書のレベルは概して高く、刺激に満ちている。評者自身も志向してきた国際政治の現状分析と思想・理念的検討との交錯が目の前で見事に繰り広げられ、さらなる思考のタネがいたるところに蒔かれている。

 本書は、大学レベルの学生にもわかるよう平易な日本語で書かれており、政策実務に携わる人にとっても、あるいは近隣分野について考えざるを得ない人にとっても、一歩立ち止まって日本の在り方を再考する際の恰好の道案内となるだろう。学問・実務を問わず、広い層にぜひ一読をお勧めしたい書物である。

(外交フォーラム 7月号)

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