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<ワールドスコープ>法王の視線 宗教的欧州連合へ

 あるカトリックの神父さんとの会話中、なんの拍子か、25万人に上る自衛隊の隊員数の話になったとき、彼は「うちには50万いる」と日本の信者数を挙げた(実際は約44万人)。信仰の共同体が持つ国家権力との微妙な緊張関係と、非信者には見えにくい心理的な地図の存在を教えてもらった気がする。

 一般にカトリックというと、近代日本の有力な輸入イデオロギーだったプロテスタンティズムとマルクス主義の立場からは、「旧教」などと貶められてきた。

 けれども、言うまでもなく法王は、全世界で11億の信者の総帥のみならず、ヴァチカン市国の主権者であり、精神世界を超え、現実の国際政治にも無視できない影響力を発揮する。

 先代のヨハネ・パウロ2世は、ポーランド出身だった。30年近く法王の座にあって、このカリスマの政治的エネルギーの多くは、共産主義と無神論の総本山であるソ連へと向けられた。当時ソ連のくびきの下にあったポーランドでは、教会の支援の下で自主労組「連帯」が勢力を伸ばした。

 他方で彼は、聖母マリアを崇敬し、超越神への内面的信仰を重んじた。その延長上で、同じく超越神をもつイスラーム教との連携を大事にした。この構図は、アフガンなどにおけるソ連への対抗という意味で、冷戦に適合的だった。

 現在のベネディクト16世は、イスラーム教の聖戦を批判し、ホロコーストを否認していた司教の破門を解くなど、否定的なニュースの方が目立つ。

 2005年に法王になる以前、彼は長らくヨハネ・パウロの教理上の片腕だった。微妙だが重要な二人の違いは、ベネディクトが(神の声を理解する人間内在の)理性を強調し、信仰との間の相互補完・補強を説く点にある。

 加えて、その理性と信仰の調和こそがEU(欧州連合)の根源にあるとするとき、それは非欧州、特にムスリムとの間に隙間風が吹くことを示唆する。これは、イスラーム原理主義が喫緊の争点となった9・11後の国際政治環境と平仄が合う。

 もちろん、現法王も他宗教との対話を重視する。しかしそれは、教義上の共通理解ではありえず、実践的な文化外交の部類に属する。

 ドイツで若くして神学教授となったベネディクトは、確信に満ちた欧州知識人でもある。その視線はいま、英国国教会やロシア正教との統合に向けられている。これは、カトリック(普遍)への強い意志に裏打ちされている。と同時に、過剰に映る世俗主義の潮流に対抗するための、理性と信仰が調和した宗教的欧州連合の構築に他ならない。

(読売新聞2009年12月28日朝刊)

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