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<書評> 「真昼の暗黒」
  アーサー・ケストラー著 中島賢二訳(岩波文庫)

無謬の共産世界を崩した自己との対話

 1941年に書かれた名高い政治小説の新訳である。ある世代以上には、懐かしく響くかもしれない。

 ケストラーは、ブタペスト生まれのユダヤ人。シオニズムにかかわり、本書を書く少し前までドイツ共産党員であった。彼はそうした経歴を反転させ、シオニズムや共産主義の批判者になってゆく。

 1936年以降繰り広げられたいわゆるモスクワ裁判は、スターリン体制の抑圧性を示していた。この政治裁判は、ケストラーの友人や義理の兄弟をも犠牲にしたこともあり、彼を早い段階から反スターリン主義に駆り立てた。

 本書は、そのような動機の下、ケストラーのソ連滞在や党員時代の経験を掛け合わせ、書かれたものである。

 ソ連共産党きっての理論家ブハーリンをモデルにした主人公の古参党員ルバチョフは、反革命分子として、完全無謬な党から粛清される。睡眠妨害の拷問の末、獄中で自己批判した上、指導者暗殺などの容疑を認め、銃殺に至る。

 この間のルバチョフが深める内省、隣の独房にいる昔ながらの士官との壁越しの対話、および尋問者とのやり取りが、本書のハイライトをなす。

 無謬なのは党だけでなく、ルバチョフその人であった。純粋理性の貫徹の末に、党と共同体を絶対視し、他方で具体的な個人、すなわち友人、恋人、そして自分を破滅に導く。

 その過ちに気づいてゆくのは、獄中、一人称単数の「私」の中で始まった独白(モノローグ)ならぬ対話(ダイアローグ)を通じてだった。

 理性とともに、個人がもつ具体的な意識や個性が尊重される新時代へ。内省の末にその必要性にたどり着いたルバチョフは、直後に処刑場に向かう。

 ケストラーの『真昼の暗黒』は、元々ドイツ語で書かれ、英訳された。その点、同じく英国生まれでないにもかかわらず現代英文学の一金字塔を打ち立てたジョゼフ・コンラッドの政治小説『密偵』を彷彿させる。

 コンラッドは「プロフェッサー」にテロリストの心理を絶妙に託す。それに対しケストラーは、ルバチョフの自己内対話に共産主義者の心理を余すことなく映しだす。

 訳はこなれている。是非一読をお勧めしたい。

(外交フォーラム2010年01月号)

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